監督に激怒しトレード志願「この人は無理」 身に沁みた中日愛…「死ぬほど泣いた」理由|球界群像 山崎武司#17
2002年の山崎武司氏【写真提供:産経新聞社】山崎武司氏は2001年オフにFA宣言…横浜移籍寸前も山田監督の慰留で急転残留
中日・山崎武司内野手(現野球評論家)は2002年にトレードを志願した。3年契約の1年目だった。どうしても納得できないことがあり、より突っ張ってしまった。2003年1月にオリックス・平井正史投手との1対1の交換トレードが発表された。それよりも前に、誰にも気付かれないようにナゴヤドームのロッカーをきれいに片付けた際には、感情が高ぶった。自分でアクションを起こして実現した移籍だったが、涙が止まらなかったという。
プロ14年目の2000年に山崎氏はリーグ6位の打率.311をマークした。チームも2位。「だけどね、査定が悪かったんですよ。『お前はホームランが(18本で)少ないじゃないか』って言われて、はじめの提示が現状維持だったんです。『.311打ってそれはないでしょ』って、もめにもめた。最後、アップはしたんですけどね」。この頃からちょっとスッキリしない感情が出始めていたのかもしれない。
15年目の2001年は、本塁打を25本と増やした。だが、打率は.238。111試合の出場で規定打席に届かなかった。チームは5位。星野仙一監督は退任となったが「何となく自分の、チームでの立ち位置にも違和感が出てきて、どうなのかなぁと思った」という。そして「このままじゃいかんだろ。FA権も取得したし、環境を変えていかんとなぁ」との気持ちが大きくなった。幸いにも横浜から声がかかった。
「家族会議して、嫁も『行こうか』と言ってくれて、横浜には『超前向きで』ってことでほぼ行くという話をした。あとは最終の話を詰めるところだった」と山崎氏は話す。だが、そこまで進めながら、結局は中日残留となった。山田久志新監督から引き留められたという。「山田さんに『頼む』って頭を下げられたんです。その熱意に押されました。(元阪急エースで通算284勝の)あんなレジェンドから言われて、この監督と頑張ろうと思って残ったんです」。
元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】「チームを奈落の底に落としてしまうヤツがいる」山田監督の発言に憤慨
3年契約1年目もトレード志願でオリ移籍…ナゴヤDで「死ぬほど泣きました」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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