無理で壊れた体…言えなかった「痛い」の2文字 引退後の後悔「やめた方がよかった」|球界群像 羽田耕一#12
近鉄で活躍した羽田耕一氏【写真:山口真司】1981年の近鉄は前期6位、後期4位…恩師・西本幸雄監督も勇退へ
元近鉄内野手の羽田耕一氏は1972年から1989年まで18年間、現役でプレーした。プロ11年目(1982年)と12年目(1983年)には2年連続でオールスターゲームにファン投票で選出されるなど、パ・リーグ屈指の三塁手だった。その一方で怪我との闘いが増え始めたのもこの頃からという。「(以前から痛めていた)右肘(の状態)がよくなかった。だましだましでやっていましたけどね……」。大物後輩とのポジション争いも始まった中、気迫だけでクリアしていた。
1979年、1980年と近鉄はパ・リーグを制覇したが、日本シリーズはいずれも広島に3勝4敗で敗れた。パ3連覇を目指した1981年は主砲のチャーリー・マニエル外野手の退団なども響いて、前期6位、後期4位に低迷した。羽田氏も107試合に出場して、打率.234、17本塁打、39打点。一発長打は光ったが、打率はシーズンを通して2割台前半から抜け出せなかった。古傷でもある右肘の状態もよくなかったそうだ。
1981年シーズンを持って西本幸雄監督は勇退した。羽田氏にとっては思い出いっぱいの指揮官だ。「もう体がだいぶ悪かったというか、胃をやられていたんでしょうね。ベンチ裏に牛乳を置いてね、試合中も飲んでおられました。監督業って大変だなって思いましたね」としみじみと話す。シーズン最終戦の10月4日の阪急戦(日生)試合後、近鉄ナインに、かつて西本氏が指揮した阪急ナインも加わり両軍ナインで胴上げしたのも忘れられない。
「辞められてからも、西本さんには僕はいろいろお世話になったんです。まぁ(近鉄)監督の時は(ビンタを食らったり)いろいろありましたけどね。もちろん、根に持っていませんよ。自分があるのはやっぱり、西本さんのおかげと思っていますから」と羽田氏はプロ3年目から8年間、指導してくれた恩師に対して、改めて感謝の気持ちも口にした。
金村義明に譲った開幕スタメン…1984年は藤井寺球場に人工芝導入
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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