監督から「ホテルで会おうか」 提示された3択…“消えた”現役も、未練なく選んだ第2の道|球界群像 羽田耕一#15
近鉄現役時代の羽田耕一氏【写真提供:産経新聞社】羽田耕一は近鉄時代からバファローズ一筋で18年間プレー
近鉄の主力打者だった羽田耕一氏は1989年限りで背番号3のユニホームを脱いだ。そのラストイヤーに近鉄はパ・リーグ優勝。現役最後の打席は、巨人との日本シリーズ第7戦(10月29日、藤井寺)、3-8の8回に代打で出て、三振だった。もっとも、この時は引退を決意していたわけではなかった。その後の宮崎・日向での秋季キャンプにも参加し、終了後に仰木彬監督から大阪市内のホテルに呼ばれて、決まったという。
勝てば逆転優勝だった1988年10月19日のロッテ戦(川崎、ダブルヘッダー第2試合)に近鉄は延長10回4-4の引き分けで涙をのんだ。10回1死一塁で二ゴロ併殺に倒れて最後の打者になったのが羽田氏。両膝痛をはじめ、体はボロボロ状態で、その時に引退を考えたそうだが、球団からそういう話もなく、このままで終わりたくない一心で現役続行を決断。さらに体にムチ打って、プロ18年目の1989年シーズンに挑んだ。
もはやコンディションがよくなることはなかったが、開幕から1軍でプレー。5月11日の日本ハム戦(東京ドーム)には偵察メンバーの小野和義投手を経て5番一塁で出場。2-3の9回2死二塁で完投勝利目前の西崎幸広投手から左中間スタンドに逆転1号2ランを放った。「やや外よりの高めの真っ直ぐ。何かガーンと振ったら……」。この年の本塁打は1本だけ。劇的一発は結果的に通算225号の現役ラストアーチにもなった。
「相手のエースから打ててよかったけど。この年はホームランを打てるとは思っていなかったですよ。握力とかも落ちて来て、本当にそんなんで行くんかなって感じでしたからね」。羽田氏はそう振り返ったが、これまで同様、1打席、1打席を大切に集中した。
8月5日の西武戦(西武)では史上57人目の通算1500安打を達成。「1番・指名打者」で出た8月12日の日本ハム戦(東京ドーム)で西崎から今度は適時打を放ち、チームの勝利に貢献した。「1番はこの時が初めてかな。僕が打順で打っていないのはたぶん2番だけですよ」。西崎との相性の良さとともに、この“1番経験”も印象に残っているそうだ。
近鉄で活躍した羽田耕一氏【写真:山口真司】現役続行は「こんな体でできるわけがない」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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