高卒→社会人入団も「やることはなかった」 密かに抜いた電話線…苦痛だった“留守番”|球界群像 久慈照嘉#5
元阪神、中日の久慈照嘉氏【写真:山口真司】久慈照嘉氏は東海大甲府高から日本石油へ…2年目で遊撃のレギュラーを掴んだ
転機は社会人時代にあった。阪神、中日で内野守備のスペシャリストとして活躍した久慈照嘉氏は、日本石油(現ENEOS)で2年目の1989年からショートのレギュラーになった。新日鉄堺・野茂英雄投手(元近鉄、ドジャースなど)、プリンスホテル・石井浩郎内野手(元近鉄、巨人など)、熊谷組・佐藤和弘外野手(パンチ、元オリックス)らとともに遊撃手として社会人ベストナインにも選出されたが、これには日本石油・林裕幸監督との出会いが大きかったという。
1988年、久慈氏は日本石油に入社した。「東京支店経理課に配属されました。朝9時出社で練習は昼からでした」。川崎市内の寮の最寄り駅から霞ヶ関までの満員電車も経験し「最悪でしたよ」と苦笑しきり。「会社ではやることがほとんどなかった。『ゴミを捨ててきて』『シュレッダーにかけてきて』と言われて、対応するのが仕事でした。席についていたのは最初の20分と最後の30分。それ以外は(野球部の)先輩に呼ばれて地下の喫茶店にいることが多かった」という。
「僕のグループは12人くらいいる課で『ちょっと会議に行くから留守番していて』と言われたこともありました。その時はまず『留守番って、もし電話がかかってきたらどうするんだよ』って思いましたね。かかってきても(自動的に)転送される電話はいいけど、困るのは自分のところの電話。それを考えて自分の電話の線を抜いていました。他の電話はなっても、僕のところのはならないようにしていました」。いやはや何とも、の話ではあるが……。
林裕幸監督に鍛えられ、ドラフト候補として注目を集めるようになった
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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