指揮官が“激怒”「わかっとるわ」 出場激減で失った定位置も…バタバタ交代指令|球界群像 久慈照嘉#12
元阪神、中日の久慈照嘉氏【写真:山口真司】大物新人・福留孝介が入団、久慈照嘉氏は遊撃の控えに回った
新たな“仕事場”で奮い立った。1999年、星野仙一監督率いる中日は11年ぶりにセ・リーグを制覇した。開幕から11連勝してスタートダッシュに成功。その後、首位の座を譲るなど苦しい時期もあったが、一丸野球で乗り越えて9月30日に優勝を決めた。優勝メンバーである元中日内野手の久慈照嘉氏は主に終盤の守備固めなどでチームに貢献。レギュラーではなくなったが「控えを経験できてよかったなと思っている」と話した。
1999年の星野中日のショートは、日本生命から入団したドラフト1位ルーキーの福留孝介内野手が主に務めた。久慈氏は阪神1年目の1992年から中日移籍1年目の1998年まで7年間、規定打席に到達したように、いろんなライバルとの闘いを制して、ずっとショートのレギュラーだったが、大物新人には明け渡す形になった。スタメンで出るのが当たり前だったのが、出番は試合終盤になってからの守りが中心。打席数も大幅に減った。
しかし、気持ちが切れることはなかった。「星野さんがメディアに“大事なところで絶対使うから”という表現をしてくれていたんです」。福留のショート守備は決して上手ではなかった。闘将もそれはわかっていた。でも、後ろに久慈氏がいるから思い切って使った。そんな星野監督の考えを、マスコミを通して久慈氏も理解した。レギュラーでなくなるのは悔しかったが、新しい仕事にも、意気に感じて取り組んだのだ。
久慈氏は1999年4月28日の阪神戦(ナゴヤドーム)が忘れられないという。「福留があとシングルヒットを打ったら、サイクルヒット。打席もまだ回ってくるのに星野さんは僕に代えたんですよ」。福留は四球、本塁打、三塁打、二塁打の3打数3安打1打点。試合は中日が4-1で3点リードしていた。「福留のサイクルがかかっているし、僕の出番はないなって思っていたら(ヘッドコーチの)島野(育夫)さんから合図があったんです」。
感じた星野監督の配慮「打順が回るところに僕を入れる」
控えを経験して広がった野球観…のちの指導者業でも役立った
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜久慈照嘉編〜
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