伝説の二遊間、相棒の住居も「僕が探しました」 最初の愛称も奇想天外…コンビ結成秘話|球界群像 荒木雅博#13
中日時代の井端弘和氏(左)と荒木雅博氏【写真提供:産経新聞社】日本球界を席巻した「アライバ」コンビは2002年から本格化
元中日の名内野手・荒木雅博氏(野球評論家)はプロ7年目の2002年に131試合に出場して、初めて規定打席に到達した。打率.259、2本塁打、18打点、16盗塁。NPB屈指の二遊間と言われた井端弘和氏(元中日、巨人、現野球日本代表監督)との“アライバコンビ”も、この頃から本格化していく。「井端さんにはいろんなことを教えてもらいました」。最強の“相棒”の存在はやはり大きなものだった。
1997年に亜大からドラフト5位入団の井端氏は、1995年ドラフト1位で熊本工からプロ入りした荒木氏より2歳年上。当初から馬が合っていたようで、1999年オフに同時に退寮してからも同じマンションだったという。「僕が(マンションを)探しましたよ。『俺、ちょっと探すのが、あれだから、お前探しといて』って言われて『えっ、一緒でいいんですか』という話をしてね」。2年ほどそこでの生活が続いたそうだが「一緒に行動することはあまりなかった」という。
退寮後1年目の2000年は井端氏が1軍で92試合に出場したのに対して、荒木氏は40試合の出場。「井端さんが1軍で、僕は2軍。時間帯も違った。“井端さんは1軍で頑張っているなぁ”って思ったくらいで。(2人とも)1軍の時も遠征に一緒にタクシーで行ったくらいかな。その頃はまだ二遊間を組んでいませんでしたしね」。その年の荒木氏は全て外野手での出場。1軍公式戦で初めて“アライバ”がグラウンドで揃った時は荒木氏が中堅、井端氏も右翼だった。
取材に応じた元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】公募されたニックネームは荒木&井端&福留のトリオで
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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