「お前なんか使えねぇ」…植え付けられたマイナス思考 「0-4-4-3-3-0-1」を変えた出会い|球界群像 紀藤真琴#18
広島で活躍した紀藤真琴氏【写真:山口真司】 元広島・紀藤氏はプロ11年目に16勝「球が変わった」
広島監督に三村敏之氏が就任した1994年シーズン、紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は大きく飛躍した。プロ11年目の背番号11右腕は開幕当初こそリリーフだったが、その後、先発ローテーション入りし16勝をマークして一気に主軸投手となった。そんな実力開花の裏には山本和行投手コーチからの指導があった。「お前だったら2桁勝てるぞ」との“予言”を信じてついていった結果でもあったという。
プロ10年目までの紀藤氏の通算成績は15勝12敗9セーブ。それが11年目の1994年は16勝5敗と、1シーズンで前年までの通算勝ち星を上回ったのだから、まさに大ジャンプアップだった。「三村監督には2軍の若手の頃からかわいがっていただいたんです。寮まで車に乗せていただいて、三村さんが現役時代にサヨナラ本塁打を打ったシーンのラジオの録音テープを聞かせてもらったこともありました。何としても恩返しがしたいという気持ちでした」。
この成長に大きく関わったのが、1992年シーズンから投手コーチに就任していた山本和行氏だ。山本氏は広島出身の元阪神左腕で、1972年から1988年までの現役時代に116勝106敗130セーブの成績を残した。「和さん(山本コーチ)は以前から“紀藤は投げ方をこうしたらすごくよくなるのに”って見ていたそうなんです。で、9年目が終わって10年目になる時だったかな。『お前だったら2桁勝てるぞ、どうだ、俺の言うことを聞いてやってみるか』と言われたので『じゃあ、お願いします』と言ったんです」。その9年目のオフに紀藤氏は右肘軟骨切除手術を受けたが「それも和さんに『手術した方がいいぞ』って言われたんですよ。早めにやっとけってことでね」。
山本コーチの指導は紀藤氏にピタリとマッチした。「夢を叶えたいのなら、物事を肯定的に考えて、自分からアプローチして行動しないといけないと言われました。どういうピッチャーになりたいのか。どういう球を投げたいのか。いろんなものを教わって、その中で『いかに自分を信じられるか。ひとつでもやっぱり無理と思った時点で、もう絶対駄目だぞ』って。それで“もう言うことを聞いてやっていくしかないな”って前向きな気持ちになったんです」と振り返る。
開幕は中継ぎも、結果で掴んだ先発ローテーション
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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