高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い|球界群像 太田幸司#27
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長…
高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い|球界群像 太田幸司#27
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長…
飛び交った“誹謗中傷” 屈辱の無期限の活動休止も…甲子園実現に「やってよかった」|球界群像 太田幸司#26
“元祖甲子園アイドル”で、元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、1984年の現役引退後、再びユニホームを着ることなく、外からプロ野球を見続けている。「伝える側に面白さ…
阪神から突然の誘い「どうする?」 栄光のドラ1が黙々とこなした“裏方”…巡ってきた「最後の勝負」|球界群像 太田幸司#25
“国民的スター選手”として名を馳せた太田幸司氏(野球評論家)は、プロ15年目の1984年限りで現役生活にピリオドを打った。前年(1983年)開幕前に近鉄から巨人に移籍し、そ…
誰もが予想できぬ“最後の勝利” 復活信じた女性ファンも…ボロボロの元ドラ1「今だったら」|球界群像 太田幸司#23
甲子園で人気を集めた元近鉄ドラフト1位右腕、太田幸司氏(野球評論家)のプロ野球人生は、プロ10年目の1979年10月に右肩痛を発症させてから暗転した。11年目の1980年は…
洗顔で気づいた右肩の“悲鳴”「もう駄目」 日本S直前の悲劇「いっぺんにプチーンと」|球界群像 太田幸司#22
どうしようもなかった。元近鉄主力投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ10年目の1979年に右肩痛を発症した。シーズン終盤に調子を上げ、10月9日の南海戦(大阪)で7勝目をマ…
原因不明のスランプで泥沼「何がどうなったのか」 完封後に8連敗…ドラ1が手放した“居場所”|球界群像 太田幸司#21
突然、勝てなくなった。“元祖甲子園のアイドル”で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ5年目(1974年)から8年目(1977年)の4シーズンで3度、2桁勝利をマーク…
OP戦絶好調で「いつ声がかかるのか」 開幕投手はお預け…自己最高も忘れぬ初登板の“洗礼”|球界群像 太田幸司#20
元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)がキャリアハイの12勝をマークしたのはプロ6年目の1975年だ。この年はオープン戦で絶好調だったが、4月は1勝3敗。それを5月に5勝0敗…
初の2桁も「大して上がらなかった」 チーム低迷で渋かった契約更改…超人気ドラ1の悲哀|球界群像 太田幸司#19
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ5年目の1974年シーズンで初の2桁となる10勝をマークした。青森・三沢高時代に甲子園を沸かした“国民的スター右腕”が決して人気だ…
“肩重い”発言にまさかの返答「何gか量ってこい」 連投先発当たり前…忘れぬ昭和の酷使|球界群像 太田幸司#18
“元祖甲子園アイドル右腕”太田幸司氏(野球評論家)は近鉄入りして4年目の1973年シーズンに初めて規定投球回に到達した。40登板(28先発)、192回を投げて6勝14敗、防…
人気先行で「組織票かな」 2軍調整中に球宴選出…「もう嫌」を変えた夏の甲子園|球界群像 太田幸司#17
三沢高時代に甲子園を沸かせた元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)がプロで“きっかけ”をつかんだのは高卒3年目の1972年だ。2年目オフからフォームをスリークオーター気味にして、…
ファン投票1位は「辛かった」 ドラ1が陥った“精神崩壊”…2年間1勝で一転バッシング|球界群像 太田幸司#16
追い込まれた。元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)にとってプロ2年目(1971年)は大試練のシーズンだった。三沢高時代に甲子園を沸かせた超人気者として注目を集めながら、この…
「巨人はちょっと…」17歳の“本音” ドラ1候補も確約ナシ、パ球団の指名に困惑|球界群像 太田幸司#12
青森県立三沢高出身で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は1969年、社会現象にまでなった「コーちゃんフィーバー」の“主役”だ。端正な顔立ちに松山商との夏の甲子園決勝延長1…
自宅に女性ファンで仰天「家出してきました」 甲子園で異常人気…“SOS”も出せず疲弊|球界群像 太田幸司#11
常に注目を浴び続けた。元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森県立三沢高時代に甘いマスクの快速球右腕として人気大爆発。1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引…
女子高生が旅館に殺到、新聞すら禁止 囲まれたバスで理解…甲子園で生まれた“フィーバー”|球界群像 太田幸司#9
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、青森県立三沢高のエースとして、1969年夏の甲子園を大いに沸かせた。快速球で打者を封じていく甘いマスクの右腕に多くの女性ファンが注目…
甲子園で痛恨牽制死「野球辞める」 逃したサヨナラ…「大変だった」“事後処理”|球界群像 太田幸司#8
青森県立三沢高のエースだった太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神、野球評論家)は1969年夏の甲子園準優勝右腕だ。延長18回0-0再試合となった松山商との決勝戦は伝説だが、その夏…
マウンドで“謝罪”「ごめん、ストライク入らんわ」 喜べぬ2安打完封…伝説へ苦難の連続|球界群像 太田幸司#7
苦難の道のりだった。元近鉄右腕の太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神)は青森県立三沢高の2年生エースとして1968年夏に初めて甲子園を経験した。2回戦で海星(長崎)に1-3で敗れ…
届かぬ140キロ「お前が監督なら使うか?」 身重の妻置き海外視野も…捨てた“エゴ”
「今思うと、本当に恥ずかしい考え方をしていました」。中日、ロッテ、横浜(現DeNA)でプレーし、2009年に現役を引退した山北茂利氏は、苦笑いを浮かべながら当時を振り返った…
先輩エース差し置き「お前がいけ」 1年がいきなり“ノーノー”…元祖甲子園アイドルの原点|球界群像 太田幸司#3
元近鉄、巨人、阪神で活躍した右腕の太田幸司氏(野球評論家)は1967年に青森県立大三沢高(1968年4月から三沢高に改称)に進学し、1年秋には2年生エースを押しのけて、背番…
中日→ロッテ移籍も不満だらけ 「本当にだらしなくて情けない」…猛省した新天地での日々
「今思えば、本当に恥ずかしい考え方をしていたなと思います」。中日などでプレーした山北茂利氏が、若き日の振る舞いを申し訳なさそうに振り返った。プロ野球で2度のトレードを経験し…
キャンプで12失点の大炎上、中日新人が直面した危機 「あいつは使える」目にした闘将の一言
インタビュー中、終始穏やかな笑顔を絶やさない。中日、ロッテ、横浜(現DeNA)で活躍した左腕・山北茂利氏。その優しい語り口からは、かつてマウンドで見せた鋭い眼光や、入団直後…