ライバルと「乱闘寸前」、態度が「偉そう」 快挙左腕が明かす“ヤンチャ伝説”の真相

享栄高からドラフト1位で中日に入団した近藤真市氏【写真:共同通信社】
享栄高からドラフト1位で中日に入団した近藤真市氏【写真:共同通信社】

“マウンドで偉そうだった”伝説に「相手に弱みを見せないように…」

 1986年のドラフト会議で近藤真市氏(岐阜聖徳学園大学硬式野球部監督)は中日から1位指名を受けて享栄高から入団した。高校時代から全国に名前を轟かせ、ドラフトでは1位で5球団が競合した逸材は気迫あふれる投球でも知られた。一部では「マウンドで偉そうだった」とさえ言われているが、これについてどう思っているのか。ちまたでささやかれる様々な“近藤伝説”も含めて、本人が真相を明かした。

 近藤氏は苦笑しきりだった。とりわけ、同じ年にドラフト2位で愛工大名電から中日に入団した山崎武司氏がYouTubeなどでかつての近藤氏について話している内容には、反論したいことがあるという。「高校2年で対戦した時、僕が武ちゃんを2打席連続で敬遠して、なんで勝負しないんだって乱闘寸前になったって話があるじゃないですか。敬遠はベンチからのサイン。(享栄の)柴垣監督がすごく武ちゃんを警戒していたんです。それに実はその時、僕、足を骨折していたんですよ……」。

 骨折は練習試合での死球が原因だったという。「足の甲をね、それで一切練習できない、ランニングもしていない、何にもしていない状況で試合で投げたんですよ。痛み止めを打って(患部に)パットをクッションにしてテーピングで固めて……。勝負しなかったんじゃなくて、もう限界で、投げられなかったんですよ。そういうのは武ちゃん、知らないんじゃないですか」と笑みを浮かべながら主張した。

 さらに「マウンドで偉そうな、どうのこうのって話もあるけど、僕、めちゃくちゃ練習したんですよ。練習して、練習して、練習して、ほんと下手くそやったから。それで、これだけ人一倍練習したんだから打たれるはずはないと思って投げていた。だから、そんな態度が出たんです。それと投げている時の緊張感を見せないように、相手に弱みを見せないように、わざと、そういうふうに見せてもいたんですよ」とも付け加えた。

“電話番免除”伝説は否定「ちゃんと順番でやってました」

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY