無敵軍団のはずが「甘かったよな」 未来のプロがズラリも…早大最強打線にあった隙

リーグ4連覇を達成した比嘉寿光氏(右から2番目)ら早大ナイン【写真:本人提供】
リーグ4連覇を達成した比嘉寿光氏(右から2番目)ら早大ナイン【写真:本人提供】

早大は2002&2003年にリーグ4連覇達成も…日本一に届かなかった

 大学日本一には無縁だった。広島で編成部編成課長を務める比嘉寿光氏は早稲田大時代、3年(2002年)春から4年(2003年)秋まで東京六大学野球リーグ戦で4連覇を経験した。しかし、両年ともに全日本大学野球選手権大会と明治神宮野球大会では優勝していない。早稲田最強打線と言われ、2003年秋のリーグ戦では10戦全勝優勝を成し遂げるなど、無敵を誇っていたにもかかわらずだ。何が足りなかったのか。大学4年時は主将で4番だった比嘉氏が“分析”した。

 当時の早稲田大はとにかく戦力が充実していた。特に打線が凄かった。2003年は「1番セカンド・田中浩康(元ヤクルト、DeNA)」「2番センター・青木宣親(現ヤクルト)」「3番ショート・鳥谷敬(元阪神、ロッテ)」「4番サード・比嘉寿光(元広島)」「5番ファースト・武内晋一(元ヤクルト)」「6番ライト・由田慎太郎(元オリックス)」……。まさに激熱メンバーだった。

 その中で4番を務めた比嘉氏は「僕は4番目のイメージでした。とにかくすごいバッターがいっぱいいましたから」と言う。今もヤクルトで現役の青木もそのひとり。「彼はもともと能力の高さを発揮していたんですけど、ちょいちょい怪我したり、胃腸炎とかで休んだりしていた。宮崎出身で、入ってきた時はフワーっとしていて、どっちかというと僕と同じ空気。でも3年春からはもうバリバリのレギュラーでしたね」。

 そんな“無敵軍団”が大学日本一にはなれなかった。大学選手権は2002年決勝で亜大に敗戦。2003年は準々決勝で日本文理大に負けた。明治神宮大会も2002年は準決勝で東北福祉大に、2003年は準決勝で東亜大に阻まれた。「大学3年(2002年)の時はエースで和田(毅)さん(現ソフトバンク)がいたんで、優勝できるかと思ったんですけど、木佐貫(洋)さん(元巨人、オリックス、日本ハム)の亜大に負けたんですよねぇ」と比嘉氏。打線が木佐貫投手を攻略できず、1-2でのサヨナラ負けだった。

現広島編成部の比嘉寿光氏【写真:山口真司】
現広島編成部の比嘉寿光氏【写真:山口真司】

当時4番の比嘉寿光氏「目標設定は大事ですよ」

 しかしながら、比嘉氏は「あまり悔しいってのがなかったんですよ」と明かした上で、こう解説した。「ウチらは監督(野村徹)さんもそうだったんですけど、リーグ戦で優勝するというのが目標で、正直、大学日本一を目指そうなんて誰も言っていなかったんです。もし、それが目標だったら大学選手権までは練習も休まずやろうってなっていたと思う。でも当時はリーグ戦が終わったら、まず休んでましたから。1回、気持ちを切っていた。その時点で他の大学とは差がついていましたよね」。

 大学日本一の大チャンスを自分たちから遠ざけていた格好だった。「俺らも甘かったよなっていうのは、今、笑い話になりますよ。あそこで、目標をそこにしていたら、俺ら、できていたかもってね。でも、それもいい経験でした」と苦笑しながら話した。当時の東京六大学野球リーグで圧倒的な強さを見せつけていた最強軍団も準備ひとつ、気持ちひとつで、いつも通りではなくなっていたということだろう。

「目標設定は大事ですよ。高く置けば置くほど、本人たちの行動が変わるんで……」。これもまた、大学時代に学んだことであり、比嘉氏には教訓にもなっている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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