“トレード拒否”が大問題に 批判の嵐も…「やり合え」の後押し、受け入れた出場停止|球界群像 藤波行雄#11
元中日・藤波行雄氏【写真:山口真司】藤波行雄氏のトレード拒否問題、残留願うファンが署名運動を実施
元中日外野手で1974年新人王の藤波行雄氏は、1976年オフにクラウン(現西武)へのトレードを拒否。出場停止などのペナルティを受けて残留したことでも知られる。令和の今でこそ「俺のプロフィルを見たら必ず出てくる。その話は永久について回るよね」と明るい表情で振り返るが、当時は身も心も大変だったはずだ。「悪質なトレード拒否」と批判されながらも“ドラゴンズ愛”を貫いたわけだが、この裏には強い味方がいたという。「今だから言える話だよ」とその状況を明かした。
藤波氏は1973年ドラフト1位で中央大から中日に入団し、1年目の1974年にリーグ優勝に貢献して新人王に。2、3年目はレギュラーこそつかめなかったが、走攻守何でもOKの貴重な存在になっていた。ところが、3年目のオフにクラウン・基満男内野手と中日・竹田和史投手、藤波氏の1対2の交換トレードが“内定”。藤波氏はナゴヤ球場で球団フロントから通告され「ちょっと待ってください」と返事を保留し、考えた末にトレード拒否を選択した。
「認めれば悪しき前例になる」など、周囲からは厳しい声が相次いだ。それでも藤波氏は譲らなかった。「駄目ならユニホームを脱ぐつもりだった」。それほどの覚悟で“徹底抗戦”した。最後は球団が折れる形で残留となったが、これに大きな影響を与えたのは地元ファンの署名運動だ。甘いマスクで人気もあった藤波氏だけに女子学生が中心になって、ドラフト1位の新人王を3年で手放すことへの反対の声を急激に高め、1万人以上の署名が球団に届けられた。
支えてくれた中大時代の恩師…忘れられぬ披露宴でのスピーチ
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜藤波行雄編〜
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