覚悟し続けた戦力外も…大仕事で延ばした“現役生活” 完全試合投手に引導を渡した粘り腰|球界群像 藤波行雄#13
元中日・藤波行雄氏【写真:山口真司】平野謙の台頭で出番激減も…藤波行雄氏は代打で力を発揮
巧打の外野手として中日で活躍した藤波行雄氏はプロ5年目の1978年、初の開幕スタメンを勝ち取った。「1番・中堅」で4打数2安打1打点の好スタート。だが、レギュラー定着には至らなかった。その後は調子を落としては取り戻す“粘り腰”で現役生活をキープ。1987年に引退するまで、いろんなことがあった。5年目以降、中利夫氏、近藤貞雄氏、山内一弘氏、星野仙一氏に仕えた。その中で「中さんに申し訳ないことをした」とシンミリ話した。
藤波氏は中央大からドラフト1位で中日に入団し、1974年から1987年まで14年間、現役生活を送った。中利夫外野手の背番号「3」を継承し、1年目にリーグ優勝&新人王。だが、3年目を終えた1976年オフにクラウン(現西武)へのトレードを拒否したことで、「3」を剥奪されて「40」に変更されるなどのペナルティを受けた。以降は「結果を出さなければクビになる」と覚悟しながら、愛着あるドラゴンズのユニホームを着続けた。
そんな藤波氏にとって、大チャンスだったのが1978年から1980年までの中監督時代だ。「中さんは俺を使ってくれた。背番号3の後継者として気にしてくれていたと思う。その時はもう3番じゃなくて、40番だったんだけどね」。1978年4月1日の開幕・大洋(現DeNA)戦(ナゴヤ球場)では「1番・中堅」で起用され、2安打1打点と活躍した。「2番・二塁」高木守道とコンビを形成し、4月終了時点では打率.302をマークした。
生きがいだった「中日のユニホームを着て試合に出られる喜び」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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