入学前にまさかの代打起用 受験勉強で練習不足も…“No.1右腕”から放った運命の一打

元中日・藤波行雄氏【写真:山口真司】
元中日・藤波行雄氏【写真:山口真司】

藤波行雄氏は中大で4年間フル出場…OP戦での1本が監督の目に留まった

 センター前ヒットが野球人生を切り開いた。元中日外野手の藤波行雄氏は1970年、中央大に進学した。1年春から4年秋まで全試合全イニング出場。“東都の安打製造機”の異名を持ち、通算133安打は令和の現在も東都大学野球の最多記録となっている。見事に大学で自身をレベルアップさせたが、忘れられないのはレギュラー獲りのきっかけとなった試合。それはまだ入学式前の3月に行われたオープン戦だった。

 藤波氏は第1志望の早大受験に失敗した後、中央大の2部に合格。「3月に社会人野球の熊谷組とのオープン戦の日にグラウンドに行って、アップやってトスバッティングをやったら、試合に出るかもしれないからベンチに入ってろってなったんです。そしたら(中央大監督の)宮井(勝成)さんが『代打で行くからな』って。俺はそれまで受験でほとんど練習していなかったんです。それがいきなりですよ」。

 代打で登場した藤波氏の相手は熊谷組の久保田美郎投手。関西大4年時の1969年、全日本大学野球選手権大会では千葉商大との1回戦で完全試合を達成するなど“アマチュアナンバーワン”とも目された右腕との対決だった。もはや練習不足なんて言っている状況ではない。やるしかない。そんな打席で「センター前にカーンとヒットを打ったんですよ」。無我夢中の結果だったが、これが大学4年間の全試合全イニング出場への大きなきっかけになった。

「宮井さんは、俺が有名な久保田さんからどんなバッティングをするか見ていたんだろうね。だから敢えてぶつけたと思う。そしたらセンター前にボヨヨンヒット。宮井さんは『お前をリーグ戦でも使う』って言い出して、そのままですよ。1年の春から4年の秋まで。だからさぁ、これも運だよね」。藤波氏はそう振り返ったが、そこでチャンスをつかんだだけではなく、レギュラーの座を維持するために精進、成長して、宮井監督の期待に応え続けたのも事実だろう。

 中央大では藤波氏と同学年の佐野仙好内野手(元阪神)も1年からレギュラー三塁手。「佐野は4番とか5番で、空振りもするけどホームランを打つバッター。俺は1番で、四球を選んだり、汚い内野安打を打ったり(野手と野手の間にポトリと落ちる)カンチャンヒットを打ったりする選手。好対照な2人を1年から宮井さんはずっと使ってくれた。4年間でリーグ優勝は3回したかな。宮井さんとはそういう縁なんだよね」と藤波氏はしみじみと話した。

通算133安打は東都記録、井口氏の3冠王で明らかになった“初代3冠王”

 中央大時代に藤波氏が放った安打数は133。これは今でも東都大学野球の歴代第1位の記録だ。当時の記録は駒大・大下剛史内野手(元東映、広島)の112安打で、大幅に塗り替えた。それどころか現在の2位も中央大・高木豊内野手(元大洋、日本ハム)の115安打。いかに藤波氏の記録がずば抜けているかわかる。ちなみに東京6大学の通算安打1位は明治大・高山俊外野手(阪神→新潟)の131で、藤波氏はそれも上回っている。

「内野安打もいっぱいあるんですけどね。この記録も宮井さんのおかげですよ。1年春の最初から全イニング出してくれたからです」と藤波氏は恩師に感謝する。加えて、今年は明治大・宗山塁内野手のバットに注目しているという。「今、宗山は通算94安打。今年4年生でたぶんドラフト1位の選手だけど、彼があと40本打てば、俺も抜く。6大学はいいピッチャーが多いし、大変だろうけど、ひょっとするよ。今年はそれも話題になるんじゃないかな」と声を弾ませた。

 記録といえば藤波氏は3冠王としても東都大学野球の歴史に名前を残している。大学3年の1972年秋に打率.440、4本塁打、11打点で達成した。東都の3冠王は藤波氏の他には1994年秋に打率.348、8本塁打、16打点で青学大・井口忠仁内野手(元ダイエーなど)がマークしただけだ。もっとも、藤波氏はこれについて「あれは後付けなんですよ」と笑う。

「俺の時は3冠なんて話題にならなかった。最初は井口君しか記録に名前はなかったんですよ。それが後になって、ある記者さんが『藤波さんも3冠だったんじゃないですか』って。調べたらそうだったんで俺も載せてもらったんですよ」と明かす。「もしかしたら3冠王は俺より前にもいたかもしれないんじゃないかな。長い東都の歴史の中で俺と井口君だけってことはあり得るのかな」とも口にしたが、勲章なのは間違いない。

 そんなすべては、中央大入学前の3月に熊谷組・久保田投手から放った中前打から始まった。「あの時、センター前に打っていなかったらまた違っていたかもしれない。最初から1番センターはなかったんじゃないかな」。まさにそれは藤波氏にとって思い出の一打であり、飛躍につながる一打だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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