元虎戦士が“絶望”したプロの世界「えっ、これが2軍」 飛ばぬ打球に苦悩…悟った限界|球界群像 狩野恵輔#11
元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】元阪神・狩野恵輔氏、“新庄背番”の「63」
鼻をへし折られた。2000年ドラフト3位で阪神入りした狩野恵輔氏(野球評論家)は入団早々、プロのレベルの高さに衝撃を受けたという。「えっ、これが2軍って思いました」。想像とは違いすぎる世界だった。「“力がなさすぎる”と言われました」。プロ1年目は2軍で15打数1安打。ただし、へこんだだけで終わらなかった。シーズン後の秋の教育リーグで本塁打を放つなど、徐々に……。師匠との出会いが踏ん張らせた。
阪神での狩野氏の背番号は「63」に決まった。球団から与えられた。「聞いた時は、結構大きい番号だなと思いました。でも、その後に『新庄(剛志)さんが(阪神入団1年目の1990年~1992年まで)つけていた』と言われて、それはそれでうれしいなって思いましたけどね。僕らの代は(入団1年目に)背番号が大きい人が多かったんですよ。ちょうど(小さい数字が)空いていない年だったんです」。
同期入団のドラフト1位・藤田太陽投手(川崎製鉄千葉)が「15」。2位の伊達昌司投手(プリンスホテル)が「49」。4位・赤星憲広外野手(JR東日本)が「53」。5位・加藤隆行投手(長崎工)が「62」。6位・沖原佳典内野手(NTT東日本)が「8」。7位藤本敦士内野手(デュプロ)が「56」。8位梶原康司内野手(九州東海大)が「61」で、1位の藤田と6位の沖原以外は大きめの数字だった。
阪神「63」の先輩・新庄が1993年から「5」に変更したように、狩野氏も「活躍して変えればいいんだ、くらいの気持ち。いつかいい番号にしたいなと思っていました」と振り返った。そして「プロに入れて、鼻が伸びてきて、すぐ活躍できるやろ、って思っていたんですよね」と苦笑して、こう続けた。「思い切り鼻を折られました。えらいところに入ってしまったな、これだけ差があったんだってわかって、えらそうにしていた自分が恥ずかしいみたいな……」。
吉田康夫コーチの存在が支え「全部教えてもらった」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜狩野恵輔編〜
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