自らの権利なのに“球団都合”のFA行使 移籍決意も外されたハシゴ「あ、阪神に決まったんですね」

元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】
元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】

山沖之彦氏は1994年オフにオリから戦力外→進んでいた燕とのトレード

 思わぬ展開だった。阪急、オリックスで通算112勝を挙げた山沖之彦氏はプロ13年目の1994年オフ、オリックスからFA宣言して阪神に移籍した。当初は虎の一員になるなんて全く考えてもいなかった。そもそもの始まりはオリックスから通告されたヤクルトへのトレード。ところが、紆余曲折の末にFAでのヤクルト移籍に変更となり、さらに想定外の“ねじれ現象”が発生して、阪神行きを決断することになったという。

 オリックスが仰木彬監督体制となった1994年、山沖氏は7勝をマークした。前年の1993年は登板機会に恵まれなかったこともあって1勝に終わったが、新任の山田久志投手コーチのバックアップも受け、すべて先発の21登板で出した結果だった。出番さえあればやれることを証明した形でもあったはずだが、その年のオフに待っていたのはオリックスからの想定外の“通告”だった。

「FA資格を持っている選手には球団から電話があって(FA権行使を)“しますか、しませんか”って聞かれるんですよ。自分はするつもりはなかったから“しません”って答えようと思っていた。で、その電話がかかってきたと思ったら、球場に呼び出されて(球団フロントから)『ウチとは契約しません』と言われたの。『それってどういうことですか』と言ったら『トレードの話が来ているから』って。『あ、野球ができるんですか。なら、出してください』と言いました」

 前年オフは出番を求めてトレード志願したが、山田投手コーチに「俺が出番を作ってやる」と熱く言われて“残留”。実際に登板数が増えて7勝を挙げたが、仰木監督の早めの継投策には不満を抱いており、トレードと言われたら断る理由はなかった。「トレードで出なかったら、やめてくれってことでしょ。ウチとは(契約)しません、ということは……。まぁ、使い勝手が悪かったんでしょ。ふてくされるし(笑)」。

 山沖氏はその時に行き先も尋ねたという。「『どこですか』と聞いたら、『ヤクルト』って言われました。“ああ、ヤクルトかぁ”って思いましたよ。前の年に新聞に(当時のヤクルト監督)野村(克也)さんのコメントで、“出番ないんやったら、ウチに来い”みたいなことが書いてあったんでね。本当に獲ってくれるんやなぁと思って『それならお願いします。トレードを進めてください』という話になったんです」。ただ、この件は当初、山田コーチには伝わっていなかったそうだ。

「(フロントとの話を終えて)外に出たら山田さんがいて『お前、何しているんや、オフに、こんなところで』って聞かれたので『トレードみたいです』と言ったら『ちょっと待て。俺は何も聞いていない』って。すぐに監督室に行って、10分くらいかなぁ、仰木さんと話をされたんだと思うけど『2年間辛抱せぇ、呼び戻すから』って言われました。あの時は仰木さんのあと(の監督)は山田さんって決まっていたんじゃないですかねぇ。『ありがとうございます』と言いましたけどね」

トレードは破談、FAで燕加入のはずが…阪神に移籍したワケ

 あとはヤクルトとのトレードが成立するのを待つばかりだったが、そこから話が違う方向に進みはじめた。“交換要員問題”が浮上したという。「ヤクルトがトレードに出す対等な選手がおらん、ってなったんですよ。で、『FAしてくれ』って話になったんです。それなら金銭とかで済むからってことでね。自分も『いいですよ。わかりました。そうします』と言ってFAしたんです。そしたら、阪神が声をかけてくれて……」。

 その年に先発で7勝をマークした実力を評価してくれた阪神に感謝しながらも、山沖氏はヤクルトに行くことしか考えていなかった。「(FA)交渉の時にまずヤクルトと会って『行きますので』という話をしました。(東京での)子どもの学校の相談もしたんですよ。ただ、阪神とも一回は話をしなければいけないので、ということは伝えました」。一度も会わずに断るのは失礼と思ったのだろう。あくまで阪神とは儀礼的に会うだけ。そのつもりだった。

 ところが、それが思わぬ結果を招いた。「阪神とも話をして、こっちの事情も説明しました。それでもいろいろ条件を言っていただいて、その時はそれで別れました。で、その日がたまたまオリックスの選手会納会の日だったので、そのまま納会の会場に行ったんです。次の日は(選手会の)ゴルフ。ハーフが終わったところで、ヤクルト球団に電話したら『あ、阪神に決まったんですね。いつ発表ですか』と言われたんですよ」。

 山沖氏にしてみれば寝耳に水だった。「『ちょっと待ってください。自分、まだ家にも帰ってなくて(阪神のことは)誰とも相談していません』って言ったんですが、『いやー、決まったんでしょう』と言われて……。もう向こうは手を離しているってことじゃないですか。“こっちはもういりません”という感じだったし……」。突然、ハシゴを外された形になった。

「阪神との交渉が終わって、(オリックス選手会)納会に行く前にヤクルトに電話をしていれば良かったのかもしれない。あの時、新聞にも全部、阪神、阪神と書かれていたんでねぇ」。真相ははっきりしないが、山沖氏にとっては思いがけない状況だった。「その晩だったかな。(元阪急・オリックス投手コーチの)梶本(隆夫)さんのところに相談しに行きました。で、『欲しいってところで頑張るのが一番やないか』と言われて、阪神に行くことにしたんです」。

 オリックス残留の目はなかったし、ヤクルトに再度お願いしたところで無理だろうと判断した。完全に断っていなかった阪神に移籍するしか道は残されてもいなかった。「東京に行くつもりで、引っ越し用の段ボールもようけ用意していたんですけどね」。

 人生、何が起きるかわからない。こうして「阪神・山沖」が誕生したが、やるからには全力を尽くす考えだったし「やれると思っていた」という。だが“思わぬ事態”はまだ続いた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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