試合では使えぬ「グチャグチャ」の帽子 「これを被れ」背筋凍った“鉄人”の驚愕努力
元阪神監督の金本知憲氏は、1991年ドラフト4位で東北福祉大から広島に入団した。当初は体の線も細かったが、プロ入り後の努力でパワーもつけて長距離砲に成長した。打撃も守備も走…
広島東洋カープに関する野球ニュース・速報・コラムやインタビューの記事一覧。Full-Count(フルカウント)は野球専門の総合メディアです。
試合では使えぬ「グチャグチャ」の帽子 「これを被れ」背筋凍った“鉄人”の驚愕努力
元阪神監督の金本知憲氏は、1991年ドラフト4位で東北福祉大から広島に入団した。当初は体の線も細かったが、プロ入り後の努力でパワーもつけて長距離砲に成長した。打撃も守備も走…
広島、中学生対象の「カープ浅井打撃塾」を開講 高校野球で活躍を目指す選手を応援
広島は27日、2023年度も高校野球での活躍を目指す中学生を対象に「カープ浅井打撃塾」を開講すると発表した。打撃に特化したクラスで、選手やコーチとして活躍したOBの浅井樹氏…
幽霊騒ぎでお祓い、門限破りで“せめぎ合い” 寮長が明かすプロ野球選手の寮生活
広島の大野寮(廿日市市)で寮長を務める道原裕幸氏は捕手として優勝に貢献するなど活躍し、1984年に現役を引退した。1986年からは1軍バッテリーコーチ補佐兼三篠寮(広島市西…
屋上で寝た名投手、夜な夜な“放水”も 珍事頻発…壮絶だったプロ野球の寮生活
2011年に解体されたが、かつて広島市西区に広島の三篠寮(三省寮)と三篠練習場があった。現在、大野寮(廿日市市)の寮長を務める道原裕幸氏も1971年ドラフト1位で入団した当…
練習場に“定住”、海外旅行でも素振り… バントもできなかった選手の大出世
広島で長年にわたって、選手たちの“父親役”を務めているのが大野寮(広島・廿日市市)の道原裕幸寮長だ。芝浦工大から1971年ドラフト1位で入団した捕手で、1975年の広島初優…
マツダスタジアムに新オブジェ リアルすぎる「タガメ」や3mの「サボテン」など登場
広島は25日、本拠地マツダスタジアム内にある各広場のオブジェをリニューアルしたと発表。レフト広場に「タガメ」、どうぶつ広場に「ウサギ」、ライト側コンコースに「サボテン」が登…
睡眠導入剤を服用、体重は8キロ減 孤独に輪をかけたコロナ禍…壮絶な3年間の監督生活
子どもの頃から広島ファン、夢がかなってカープの一員となり、大黒柱として活躍し、指揮官も務めた。前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏は赤ヘル一筋の野球人生を突っ走ってきた。「…
佐々木朗希よりも欲しかった“ドラ1” ビデオ見て即決…新人王導いた新米監督の慧眼
元広島投手で野球評論家の佐々岡真司氏は2020年から昨年までの3年間、広島を指揮した。5位、4位、5位と厳しい結果に終わったが、全身全霊を込めて取り組んだ。「もっとこうすれ…
「なんで打つんだ…」球場が“変な雰囲気”に 引退試合でエースが望んだ真剣勝負
先発も、抑えも、中継ぎも、何でも来いの“スーパーピッチャー”はプロ通算5ホールド目をマークして現役生活を終えた。前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏は2007年10月7日(…
妻が毎朝“トイレに貼り出し” メンタル変貌…「本人の前では言えない」献身への感謝
広島の自宅では毎日、トイレで再確認した。紙が貼ってあった。それはメンタルトレーニングの一環だった。前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏はプロ10年目の1999年に15勝をマ…
「歩けない状態」から僅か8日後にノーノー達成 大記録の裏にあった忘れられぬ体験
前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏の現役時代は1990年から2007年までの18年間。プロ入り当初から先発、抑えにフル回転しながら大きな怪我をすることなく走り抜けた。そん…
平成の世にもいた“追いロジン”右腕 打者もクレームつけた「消える魔球」伝説
野球漫画「巨人の星」の主人公・星飛雄馬は大リーグボール1号、2号、3号を武器にした。2号は「消える魔球」。投じたボールが土煙とともに一瞬消えるという設定だったが、元広島投手…
ボンズが「1メートル前を振った」 衝撃の三振斬り…メジャーの目に留まった宝刀
1996年のオールスターゲームは東京ドームでの第2戦(7月21日)で、全パ・仰木彬監督が打者・松井秀喜外野手の時にイチロー外野手をリリーフ投手としてマウンドに送り、これに憤…
パンチ食らって鼻血も…まさかの「投げるやろ」 大乱闘直後、監督からの衝撃指令
血だらけになったユニホームを着替えてから、再びマウンドに上がった。体は万全であるわけがない。緊張と集中力でカバーして投げ続けた。そんな壮絶な経験したのが前広島監督で野球評論…
清原から痛恨一撃「フルボッコにされた」 散々な一日…忘れぬ“悲しみのパチンコ”
清原和博氏と桑田真澄氏。PL学園時代、KKコンビと呼ばれた2人の甲子園での活躍は強烈だった。前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏は、その2人と同学年。「僕からしたら、雲の上…
“片目見えず”も大一番で好投 「手が震えて…」登板直前にまさかのアクシデント
広島の“コンタクト事件”といえば、達川光男捕手を思い浮かべる人は多いだろう。1990年8月28日の中日対広島(ナゴヤ球場)。試合中のグラウンドにコンタクトレンズを落としてし…
拒絶許されぬ絶対命令「『はい』しかない」 振り回され続けたルーキーイヤー
スーパールーキーの登場だった。元広島投手の佐々岡真司氏は1年目から大活躍した。1990年4月12日の大洋戦(横浜)で初先発、初完投勝利の鮮烈デビュー。シーズン途中からは先発…
突然の日本代表入りに「えーってなった」 急成長で抜擢も…野茂らのレベルに自信喪失
前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏は1989年のドラフト会議で広島に1位指名され、NTT中国から入団した。新日鉄堺・野茂英雄投手に8球団が競合した中、単独入札での指名だっ…
最優先は地元で母に親孝行 高卒指名の可能性も…スカウトが手を引いた魅力的な就職先
母一人、子一人。母はいつも息子のことを心配し、息子もまた母親のことを真っ先に気遣った。前広島監督の佐々岡真司氏は母・江美子さんの女手一つで育てられた。周囲への感謝の心を忘れ…
高3夏に「もう野球やめる」 先発100勝&100セーブ、後の大エースが歩いた“回り道”
赤ヘルの大黒柱が1勝するたびに鯉のぼりが上がった。1991年は17匹も泳いでいた。島根県那賀郡金城町(現・浜田市)。「ウチの家が民宿で隣が鍼灸院。その先生がそこの駐車場に上…
KEYWORD
CATEGORY