みるみる痩せる体…人生初の海外で“洗礼” 元阪神ドラ1を襲った悪夢「無理」|球界群像 湯舟敏郎#9
阪神で活躍した左腕・湯舟敏郎氏(野球評論家)は社会人野球・本田技研鈴鹿出身だ。奈良産業大(現・奈良学園大)を経て、1989年に入社したが、当初はプロ入りを想定していなかった…
みるみる痩せる体…人生初の海外で“洗礼” 元阪神ドラ1を襲った悪夢「無理」|球界群像 湯舟敏郎#9
阪神で活躍した左腕・湯舟敏郎氏(野球評論家)は社会人野球・本田技研鈴鹿出身だ。奈良産業大(現・奈良学園大)を経て、1989年に入社したが、当初はプロ入りを想定していなかった…
日本代表に“絶望”「ボコボコにされた」 元ドラ1の拭えぬ体験「見ただけでウワーって」|球界群像 湯舟敏郎#8
元阪神、近鉄左腕の湯舟敏郎氏(野球評論家)は奈良産業大(現・奈良学園大)時代、近畿学生リーグで通算26勝2敗の成績を残した。1988年の大学4年時には全日本大学野球選手権で…
審判室に呼び出し→1年間の出場停止処分 「態度がアカン」元阪神左腕にまさかの試練|球界群像 湯舟敏郎#7
阪神で開幕投手を2度務めた左腕・湯舟敏郎氏(野球評論家)は奈良産業大(現・奈良学園大)で2年(1986年)春頃から主戦投手になった。2年秋はチームの近畿学生リーグ1部昇格即…
元阪神ドラ1の転機「高校より大きくなった」 投手転向を支えた“下積み”「疲れが違った」|球界群像 湯舟敏郎#6
元阪神左腕の湯舟敏郎氏(野球評論家)が本格的に投手となったのは1985年に奈良産業大(現・奈良学園大)に入学してからだ。大阪・興国高までは外野手がメインだったので、一気に変…
入部テストで“ボコボコ”→落選 消えかけた進路…元阪神ドラ1の運命変えた選択|球界群像 湯舟敏郎#5
阪神、近鉄でプレーした左腕・湯舟敏郎氏(野球評論家)は1985年、当時創立2年目の奈良産業大(現・奈良学園大)に進学した。大阪・興国高時代は外野手兼2番手投手だったが、大学…
傷つけた名門の看板…3年連続の“悪夢”「ボコボコにされた」 阪神ドラ1左腕が忘れぬ屈辱|球界群像 湯舟敏郎#4
1992年にノーヒットノーランを達成した元阪神左腕の湯舟敏郎氏(野球評論家)は大阪・興国高時代、本職は“外野手”だった。1983年の高2年秋から投手でも起用されたが、立場は…
毎日300球を2週間…阪神ドラ1を襲った“激痛” 直後に疲労骨折も「ええところで休んだ」|球界群像 湯舟敏郎#3
阪神でNPB通算60勝左腕の湯舟敏郎氏(野球評論家)は1982年、大阪・興国高に進学した。1968年夏の甲子園優勝の実績ある野球部に入部したが「3日目に怪我をしました」と試…
強豪志望も「今からじゃ難しい」 阪神元ドラ1の岐路…進んだ古豪の意外な“過去”|球界群像 湯舟敏郎#2
1990年阪神ドラフト1位左腕の湯舟敏郎氏(野球評論家)は1976年、貝塚市立東小4年の時に貝塚リトルに入り、本格的に野球をスタートさせた。中学生になっても貝塚シニアでプレ…
阪神ドラ1→ノーヒッター達成も…縁のなかったマウンド「プロなんて遠い存在」|球界群像 湯舟敏郎#1
低迷期の阪神で腕を振り続けたのが1990年ドラフト1位で本田技研鈴鹿から入団した湯舟敏郎氏(野球評論家)だ。プロ2年目の1992年6月14日の広島戦(甲子園)ではノーヒット…
61歳で“新天地”も…5年契約で「何も残せず」 不完全燃焼の猛指導「情けなかった」|球界群像 羽田耕一#17
元近鉄内野手で引退後も近鉄でコーチなどを務めた羽田耕一氏は2006年から2014年まで合併球団オリックス・バファローズのジュニア監督として子どもたちを指導した。オリックス退…
オリックスOBの集まりに「誰も行かないですよ」 消えない猛牛魂…近鉄戦士の“意地”|球界群像 羽田耕一#16
元近鉄の4番打者でもある羽田耕一氏は、現役引退後も球団に残り、1990年シーズンから2軍打撃コーチを務めた。1996年から1999年までは佐々木恭介監督、伊勢孝夫ヘッドコー…
監督から「ホテルで会おうか」 提示された3択…“消えた”現役も、未練なく選んだ第2の道|球界群像 羽田耕一#15
近鉄の主力打者だった羽田耕一氏は1989年限りで背番号3のユニホームを脱いだ。そのラストイヤーに近鉄はパ・リーグ優勝。現役最後の打席は、巨人との日本シリーズ第7戦(10月2…
土壇場で見失った“自分らしさ” 目の前で消えた優勝…屈辱の時間「ベンチに帰るのが嫌」|球界群像 羽田耕一#14
1988年10月19日、近鉄はロッテとのダブルヘッダー第2試合(川崎)を延長10回4-4で引き分けてリーグ制覇を逃した。終盤に首位・西武を追い上げ、この試合に勝てば逆転優勝…
試合前に激痛「グチャって音がした」 負傷も治療せず…今も治らぬ古傷が秘めた“誇り”|球界群像 羽田耕一#13
ついに体が……。元近鉄内野手の羽田耕一氏は現役晩年、両膝痛に苦しんだ。「(1986年のプロ)15年目からはもう……」とむなしそうに話す。「オープン戦でやってしまったんです。…
無理で壊れた体…言えなかった「痛い」の2文字 引退後の後悔「やめた方がよかった」|球界群像 羽田耕一#12
元近鉄内野手の羽田耕一氏は1972年から1989年まで18年間、現役でプレーした。プロ11年目(1982年)と12年目(1983年)には2年連続でオールスターゲームにファン…
報道陣に晒された“珍練習”「もう恥ずかしかった」 大打者がやけ酒…忘れぬ苦い記憶|球界群像 羽田耕一#11
現役時代、近鉄一筋でプレーした羽田耕一氏はプロ9年目の1980年にキャリアハイの30本塁打を放った。特に9月、10月の終盤2か月は13本塁打と絶好調でチームを後期優勝に導き…
痛恨の“サインミス”…監督からベンチで「知らんぷり」 一発でV貢献も、忘れられぬ光景|球界群像 羽田耕一#10
西本幸雄監督率いる近鉄は1979年、球団初のパ・リーグ制覇を成し遂げた。前後期制の前期に優勝し、後期優勝の阪急とのプレーオフを制した。羽田耕一氏はその時のV戦士のひとり。セ…
監督から「パンツ一丁になれ」 プロが新聞紙で打撃練習…まさかの指令で夜間特訓|球界群像 羽田耕一#9
山あり、谷あり――。元近鉄内野手で通算225本塁打の羽田耕一氏はプロ5年目の1976年、6本塁打に終わった。プロ2年目(1973年)に三塁レギュラーの座をつかんで12本。3…
親の前で飛んできた左手「なめとんのかぁ!」 突然の鉄拳に同僚は同情…後に知った誤解|球界群像 羽田耕一#8
若い時期から近鉄の主力選手として活躍した羽田耕一氏の背番号はプロ4年目の1975年に「30」から一桁の「3」になった。1974年オフに太平洋(現西武)にトレード移籍したスラ…
大記録目前も…先輩からの“圧力”で困惑「やっぱり駄目」 悔やんだ結末、届かなかったフルスイング|球界群像 羽田耕一#7
元近鉄内野手の羽田耕一氏は高卒3年目の1974年、監督推薦でオールスターゲーム初出場を果たした。4月29日の阪急戦(西宮)から5月1日の太平洋戦(平和台)の2試合にまたがっ…
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