突然の日本代表入りに「えーってなった」 急成長で抜擢も…野茂らのレベルに自信喪失

広島で選手、監督として活躍した佐々岡真司氏【写真:山口真司】
広島で選手、監督として活躍した佐々岡真司氏【写真:山口真司】

佐々岡真司氏は高校からNTT中国へ…4年目に日本代表入りを果たした

 前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏は1989年のドラフト会議で広島に1位指名され、NTT中国から入団した。新日鉄堺・野茂英雄投手に8球団が競合した中、単独入札での指名だった。当初は広島も野茂を1位で行き、外れで佐々岡の計画だったのが、ロッテ・金田正一監督が“横やり”を入れるとの情報が飛び交ったため急きょ変更したと言われているが、そこに至るまでにもいろいろあったという。

 浜田商を卒業後、NTT中国に入社。佐々岡氏は広島市安佐北区の合宿所に入った。毎朝5時50分に起床し、体操して、6時半のバスに乗って広島市中区の会社に通勤。「仕事は8時半からなんだけど、野球部はその1時間前の7時半に行って掃除をした」。その後、8時半から12時までが業務時間だった。「仕事といっても電話当番したりだったけどね」。

 それからバスに乗って合宿所に帰り、午後1時頃からグラウンドで練習開始。「遅い時は10時過ぎまで。洗濯して、寝る時が午前1時とかはよくあった。その繰り返し。しんどかったですね」。社会人3年でプロ入りを目標にしていたが、その3年目に肩も痛めた。「投げられない時期もあったんで、会社もドラフトでは行かせないと。まだチームに貢献していないってね」。翌年の1989年は勝負の4年目でもあった。

「あの年は死に物狂いで練習しましたね。もうプロに行くしかないと思ってましたから。肩が痛いとか言わずに我慢して投げたりしながら、治していったりね」。調子も上がっていった。キューバとの親善試合では日本代表メンバーに選ばれた。「うれしかったけど、驚いた」という。「ジャパンに入れると思わなかったからメンバーに名前を呼ばれて、えーってなった。書類書けって言われた時は手が震えて住所が書けなかった」。

野茂や与田の剛球に仰天「レベルが違う」

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