「これで終わりだな」激突で足の感覚失う“悪夢” 大怪我と向き合った5年目の試練

広島で活躍した山崎隆造氏【写真:山口真司】
広島で活躍した山崎隆造氏【写真:山口真司】

山崎隆造氏は5年目の春、飛球を追って大怪我…熊本で5か月の入院

 大アクシデントに見舞われた。元広島の山崎隆造氏は、あの日のことを忘れることはない。プロ5年目の1981年3月8日。場所は熊本・藤崎台球場だった。日本ハムとのオープン戦でレフトを守っていた山崎氏は、打球を追いかけて外野のコンクリートフェンスに激突した。担架で運ばれ、救急車で病院に搬送された。右膝蓋骨複雑骨折。レギュラー取りを目指していたシーズンをこの大怪我で棒に振った。

 山崎氏はプロに入ってスイッチヒッターに挑戦。プロ初安打をマークした3年目の1979年には日本シリーズにも出場した。広島が2年連続日本一になった4年目の1980年はスタメンも44試合。活躍はできなかったものの再び日本シリーズを経験し、着実にステップアップした。5年目は外野の練習もスタート。「キャンプの途中からやりました。古葉さん(竹識監督)と首脳陣は出場機会を増やそうとしてくれたんだと思います」。だが、ここで悪夢が……。

「あの試合、初回ですよね、たぶん。北別府(学)さんが投げて、日本ハムの村井(英司)さんが打った大飛球を追って……。捕れると思った。もう一目散で、フェンスの存在は僕の中では消えていました。どこまでも野っ原で野球をやっている感覚になっていた。よっしゃ、捕れた。そう思ったところにガーンと。何に阻まれたんやという感じ。それがコンクリートのフェンスだった。その壁に膝蹴りしたような形になった」。地方球場にラバーフェンスが少なかった時代の悲劇だった。

 右膝蓋骨複雑骨折。選手生命にかかわる大怪我だったのは、その場で誰が見てもわかった。「右足は麻痺していました。感覚がなかった。だから痛かったのは肩の方。当然、肩もフェンスにぶつかっていましたからね。肩が痛い、肩が痛いって言って担架で運ばれました」。そこから熊本で5か月の入院生活となった。「済生会病院で右膝の手術を受けました」。砕けた骨をかき集めてつなぎ直したという。

怪我した瞬間は「これでもう終わりだなと思いましたよ」

「膝を、お皿を串刺しにして針金を入れてとめた。骨がくっついたところで針金を取る手術もした。そしてリハビリ。実は1回針金を取ってリハビリ中に再骨折したんです。それでもう一度、ドリルで穴をあけて串刺しにして針金でまたとめた。入れて、取って、また入れて、取って。だから僕は4回手術したんですよ」。今は事もなげに振り返るが、当時はどうだっただろうか。俊足が山崎氏の大きな武器だっただけに……。

「怪我した時はこれでもう終わりだなと思いましたよ。たとえ復活しても走れなかったら、自分の特徴がなくなるなぁとも思った。手術してギプスをすると足がピーンとなったままなんで固まってしまって、それを戻していくリハビリはまぁ、痛かったですよ。その時の右足は左足より細くなっていた。筋力も自分の足じゃないみたいだった」。でも諦めることはなかった。再骨折も、リハビリも不屈の精神で乗り越えたのだ。

「脚力はちょっと落ちたかもしれないけど、復帰して盗塁の数は増やすことができましたし、3年連続3割を打ったりしてレギュラーになって活躍できましたからね」。熊本でお世話になった松岡医師とは交流も続いた。「その後、開業されたんですけど、毎年、遊びに行ったり、一緒にゴルフしたり、僕の引退試合にも招待して来てもらいました」。広島出身の山崎氏にとって縁もゆかりもなかった熊本だが「思い出の地になりました」と笑顔で話した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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