広島で感じた選手生命の“危機”「体が動かない」 弱音を阻んだ伝統…修羅場がもたらした財産
広島で感じた選手生命の“危機”「体が動かない」 弱音を阻んだ伝統…修羅場がもたらした財産
初のハローワークに「ちょっと恥ずかしい」 元プロが“捨てた”プライド、3年後に掴んだ出世
現役時代は広島などで中継ぎでも先発でも活躍した右腕で、引退後は楽天などで投手コーチを務めた紀藤真琴氏は、2025年11月に広島市西区の株式会社EJフィールド代表取締役に就任…
まさかの指令に「それはダメですよ」 野村監督から高すぎる要求…田中将大を巡る苦悩
広島、中日、楽天でプレーした右腕・紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、2006年シーズンに、野村克也監督率いる楽天の2軍投手コーチに就任した。2年目(2007…
パ球団に移籍も…待っていた悪夢「これは無理」 40度の高熱に効かない薬「重症だった」
2005年シーズン限りで紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は現役を引退した。プロ22年目、創設1年目の楽天でのプレーが最後になった。現役ラストイヤーは0勝5敗。…
契約更改で異例の懇願「年俸上げないで」 広島→中日で復活も…見据えた“終わり”
また故障と闘い、再び這い上がった。2000年オフに広島から中日にトレード移籍した紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)だが、新天地でスムーズに事は進まなかった。中日…
引退よぎるも中日からトレード打診 「冗談半分」のはずが…“闘将”から「お前が欲しい」
2000年オフに紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は広島から中日に移籍した。右腕・鶴田泰投手との交換トレードだった。1983年にドラフト3位で広島に入団し、リリ…
右肘が「グチュグチュ」 32歳で動かぬ体…失ったエースの座、周囲から“哀れみの目”
これまでの無理が……。元広島エース右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、プロ11年目の1994年から3年連続2桁勝利をマークしてチームを支えたが、14年目…
痛み止め頼るも悲鳴上げる肉体 広島エースは「ちょっと鬱に」…“拒否”された2軍落ち
札幌でまさかの悪夢が……。元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)のプロ13年目、1996年は、好スタートを切りながら悔しい結果に終わった。その年の広島は…
キャンプ負傷→指揮官は激昂 復帰急かされ…全身に広がった痛み、“破壊”された防御率
プロ11年目の1994年に16勝を挙げて赤ヘルの主力投手となった紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、そこから3年連続で2桁勝利をマークした。12年目の1995…
中日主砲が「全然、去年と違う」 半信半疑だった“大改造”…成功を確信したきっかけ
元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、プロ11年目の1994年にキャリアハイの16勝をマークし、先発投手としてブレークした。恩師の山本和行投手コーチ…
「お前なんか使えねぇ」…植え付けられたマイナス思考 「0-4-4-3-3-0-1」を変えた出会い
広島監督に三村敏之氏が就任した1994年シーズン、紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は大きく飛躍した。プロ11年目の背番号11右腕は開幕当初こそリリーフだったが…
涙が溢れた“最後”の対面「ガリガリになられていて…」 胸に刻んだ覚悟「もう1回復活するから」
元赤ヘル右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)にとって、プロ9年目(1992年)は試練のシーズンだった。ここ数年の登板過多の影響もあったのだろう。右肘痛を発症…
祝勝会の記憶もなし「壊れる寸前」 大きな代償も…支えた亡き剛腕の“座右の銘”
1991年シーズンは山本浩二監督率いる広島がセ・リーグを制覇した。紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は当時、プロ8年目の右腕でVメンバーの1人だ。ほとんどが中継…
「地獄」だった広島の“酷使” 敵でさえ同情「大丈夫か?」…先輩に詰められる恐怖
元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)はプロ6年目の1989年、オールリリーフの61登板で、4勝1敗7セーブ、防御率2.68の成績を残した。広島・山本浩…
「若造、手を挙げんかぁ!」コーチの一喝で代役決定 連日のブルペンに疲弊“昭和の起用法”
先発、中継ぎでフル回転した。元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は背番号を55から12に変えた入団5年目の1988年にプロ初勝利をマークした。「谷間の…
午前4時の遭遇に「腰が抜けた」 広島の寮で大騒動…消えた“女性”を「あんたも見たんね」
広島市西区に、かつてあった広島カープの三篠寮(三省寮)は多くの赤ヘル戦士たちの思い出の場所だ。1983年ドラフト3位入団の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)にと…
「ストレート投げろ」大物助っ人が激怒 若手でも容赦なし…“騙し打ち”に爆発寸前
中京高(現・中京大中京)から広島入りした紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)のプロ初登板は4年目の1987年5月28日のヤクルト戦(広島)だ。4-4の8回からマウ…
広島右腕を襲った血行障害「箸も持てなかった」 手術→復帰直後に肩故障…覚悟した引退
広島など3球団で通算22年の現役生活を送った紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)だが、プロ3年目の1986年には引退を考えた時期があったという。2年目に血行障害、…
18歳で“地獄の登板”「イップスに」 大先輩から飛び交う罵声「どこ投げてるんだ」
中京高(現・中京大中京)から1983年ドラフト3位で広島入りした紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、プロ1年目(1984年)に1軍キャンプメンバーに選出された…
「俺なんか見に来ない」同級生に集まるプロの視線 社会人内定も…一転広島入りのワケ
1983年のドラフト会議で紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、広島から3位指名を受けた。中京高(現・中京大中京)ではエース・野中徹博投手(元阪急・オリックス、…
甲子園で散った最後の夏…「ホッとした」 待っていた“別れ”…広がった「忘れぬ」光景
広島市西区の株式会社EJフィールド代表取締役の紀藤真琴氏(元広島、中日、楽天投手)は、中京高(現・中京大中京)3年の1983年夏、甲子園大会に出場した。これが自身3度目の聖…
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