ファン殺到で「腫れあがっちゃった」 国民的イベントの裏で…日本一逃した“悲劇”|球界群像 鈴木孝政#9

元中日の鈴木孝政氏【写真:共同通信社】元中日の鈴木孝政氏【写真:共同通信社】

1974年10月14日、中日は名古屋でVパレード…2軍中心で長嶋茂雄引退試合に臨んだ

 1974年シーズン、与那嶺要監督率いる中日は20年ぶり2度目の優勝を成し遂げ、巨人のV10を阻止した。応援歌「燃えよドラゴンズ!」も大ヒットした。しかし、日本シリーズは金田正一監督のロッテに2勝4敗で敗退した。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は当時、2年目の20歳。快速球を売りに35登板で4勝2敗2セーブと活躍し、日本シリーズも第2戦と第5戦に先発した。

 金田ロッテとの日本シリーズで、鈴木氏は3試合に登板した。中日球場(現ナゴヤ球場)での第2戦(10月17日)に先発して3回2安打1失点。チームも5-8で敗れた。後楽園球場での第3戦(10月19日)は、5-4の8回途中から先発・松本幸行投手をリリーフして1回1/3を無失点で切り抜け、シリーズ初セーブを挙げた。第5戦(10月21日)は先発して7回2失点で敗戦投手になった。「あの時はね、もう投げられる人がいなかったんだよ。パレードの握手攻めで手を痛めていた人もいたし……」。

 リーグ制覇した中日は、日本シリーズ前の10月14日に名古屋市でVパレードを行った。まだ、ペナントレース中。一方でその日は巨人とのダブルヘッダーが組まれていた。しかも“ミスタージャイアンツ”長嶋茂雄氏の現役ラストゲームだった。

 試合には中日2軍選手が中心に出場し、1軍の主力はほとんどがパレードに参加した。雨の影響で13日の試合が1日延び、パレードは警備の問題もあり、予定通り14日に行うしかなく、重なってしまったものだが、大の長嶋ファンの鈴木氏は無念の思いだったという。「俺は個人的には後楽園に行きたかった。花束贈呈で主力は大島(康徳)さんが行ったけど、すっげえ、うらやましかったね」。

元中日の鈴木孝政氏【写真:山口真司】元中日の鈴木孝政氏【写真:山口真司】

パレードで握手攻め…利き手の右手を腫らしてしまった投手もいた

 そもそも日本シリーズ前にパレードを行うこと自体、今では考えられない。「俺はオープンカーの左サイドだったから、握手は左手だった。俺の隣は三沢(淳)さんで右手。何十万と握手したか知らないけどさぁ、みんな腫れ上がっちゃった」。三沢氏は日本シリーズで登板したが、万全ではなかった。右手で握手しなかった鈴木氏は比較的、まだまともな方だったということだ。

「第5戦はロッテの先発が木樽(正明)さんだった。俺にとっては木樽さんもスター。(同じ千葉県の)銚子商出身のね。投げ合って俺は7回2失点だったけど、木樽さんは完封だもんね。この試合、日本シリーズ史上初の“両軍無四球”だった。それが見出しになったのは覚えている。1週間で2回先発して、セーブも取った。俺は使ってもらってうれしかったけどね。木樽さんとも投げ合えて良かった」

 いろいろあった、プロ2年目。板東英二氏が歌い、大ヒットした応援歌「燃えよドラゴンズ!」の歌詞に“快速球”で登場もした。20歳の若竜右腕はこの年、間違いなく急成長。翌年以降の飛躍につなげた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

球界群像〜鈴木孝政編〜

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