悲劇からの変身に中畑清が文句「抜いたなぁ!」 たった88球の完封呼んだ“粘着質”の助言

巨人時代の中畑清氏【写真:共同通信社】
巨人時代の中畑清氏【写真:共同通信社】

名伯楽・権藤博コーチに「同じことをしつこく言われた。何回もね」

 プロ10年目で“進化”した。「これがピッチングと思ったね」。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は、本格的な先発転向後の1982年7月1日の巨人戦(ナゴヤ球場)でプロ初完封勝利をマークした。わずか88球。100球以内で9イニング以上を投げて完封することを、現在は、MLBで「精密機械」と呼ばれた名投手グレッグ・マダックス氏にちなんで「マダックス」というが、鈴木氏はプロ初完封でやってのけた。

 1982年5月23日の大洋戦(宮城)で逆転サヨナラ満塁アーチを被弾したのをきっかけに、先発転向の方向で動いた鈴木氏だが、その悪夢の試合のあともリリーフで7試合に登板した。先発のチャンスが与えられたのは、6月18日の阪神戦(甲子園)で、ここを6回2/3、1失点で切り抜けて次につなげた。

 6月23日の巨人戦(後楽園)では敗戦投手にこそなったが、6回3失点と及第点。そして、7月1日の巨人戦で被安打5のプロ初完封を飾った。ケン・モッカ内野手のソロアーチによる1点を守り切って白星をつかんだ。

 悲劇の5・23から歓喜の7・1までの間、鈴木氏は1軍で登板しながら、権藤博投手コーチの指示で140キロ、130キロ、120キロの強・中・弱の3種類のストレートを実戦で使えるように練習を繰り返した。「この世界でもうちょっと生きたいと思ったからね。権藤さんからは同じことをしつこく言われた。何回も何回もね。そんなふうに同じことを何回も言うコーチって、俺、いいコーチだなって思う。経験したからわかるよ」。

打ってもらう球を使うことで「投球が面白くなった」

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