突然の“首脳陣一掃”で戻ってきた落合博満 監督就任は幻に…低迷する中日への思い

元中日・鈴木孝政氏【写真:山口真司】
元中日・鈴木孝政氏【写真:山口真司】

鈴木孝政氏は2012年、2013年に中日2軍監督…次期1軍監督候補と言われた

 元中日投手で野球評論家の鈴木孝政氏は2015年11月29日に中日のOB会長に就任した。ドラゴンズ一筋の野球人生。かつての快速球投手は立浪和義監督の成功を心から願う。「立浪監督はタイプ的には星野さんでも落合さんでも、どっちでもない。優しいけど、きかん坊。自分の形を変えない。そういう貫くってところは安心して見ていられる」。バックアップできることは何だってするつもり。「愛されるドラゴンズになってほしい」と声を大にした。

 1989年の現役引退後、鈴木氏は指導者として3度、中日のユニホームを着た。高木守道監督と星野仙一監督に仕えた1995年から1997年の3年間、落合博満監督の下での2004年シーズン。そして2012年と2013年は2軍監督として1軍の高木監督を支えた。当時は次期1軍監督最有力と噂された。そのための2軍監督就任とも目された。

 だが、4位に終わった2013年シーズン終了後、高木政権メンバーのほとんどが一掃された。2014年シーズンから落合GM、谷繁元信監督兼捕手の新体制となるためだった。「みんなが呼ばれて、来年はないと言われた時、守道さんに『次は誰なんですか』と聞いたら『あの人しかないだろ』と話されたのも覚えている。監督じゃなかったけどね」。それから約2年後に、鈴木氏は中日OB会長となり、現在に至っている。

 プロ入りとともに、縁もゆかりもない名古屋の地にやって来て、気がつけば、“地元”になった。150キロを軽く超える快速球投手として、腕を振り続けた若手時代。右肘を故障して、ピッチングスタイルを変えた中堅、ベテラン時代。3度のリーグ優勝は経験したが、日本一にはなれなかった……。思い起こせば、いろんなことがありすぎたくらいあったが、そんなすべてが、人生のプラスになっている。

長嶋父子両方と対戦…一茂氏のコメントに「駄目だなと思った」

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY