矢野燿大から強奪した「必死のパッチ」 “留守”の間に活躍…お立ち台で多用して定着

阪神でプレーした関本賢太郎氏【写真:山口真司】
阪神でプレーした関本賢太郎氏【写真:山口真司】

お立ち台での「必死のパッチ」が定着、ゴミ持ち帰り奨励で甲子園美化委員長」に

 元阪神内野手の関本賢太郎氏と言えば、ヒーローインタビューでの「必死のパッチ」が有名だった。関西弁で「死に物狂いで頑張る」との意味で昔から使われていた言葉を、2008年シーズンに阪神・矢野燿大捕手がお立ち台で口にし、それを関本氏がパクったと言われているが「あの時、活躍していなかったら、僕のものにはなっていなかったですよ」。恩師・岡田彰布監督との思い出なども含めて、当時を振り返ってもらった。

 ヒーローインタビューでの締めの決まり文句。関本氏の場合は「必死のパッチ」がそれに該当し、ファンの間にも浸透したが、もともとは矢野捕手が言っていたことも広く知られている。「そうですね。最初は片岡(篤史)さんと矢野さんが言い出したんですよ。それで面白い言葉やなって思って、矢野さんが(北京)オリンピックに行っている間に乱用していたんです。その間に僕、ヒーローインタビューが6回くらいあったんです」。

 関本氏は矢野先輩からのパクリを認めた上でこう続けた。「これみよがしに言っていたら自分のものになったんです。あの時、活躍していなくてヒーローインタビューに行っていなかったら、そうはならなかったと思いますよ。矢野さんは帰ってきてからヒーローインタビューで『あれは僕のもんですよ』って言っていましたけどね」。矢野とのそんなやり取りも込みで、これも現役時代の思い出のひとつだ。

 ほかにも関本氏のお立ち台といえば「自分の出したゴミは自分でもって帰るようにお願いします!」発言も知っている人は多いだろう。球場美化に一役買ったが、これについては「あの時は“必死のパッチ”を言って終わる認識でいたのに、インタビュアーの人がその法則みたいなのを知らなかったのか、言ったにもかかわらず、続いたんですよ。最後にまたひと言を、って。“もうさっき言ったんだけど”ってところで出たのが、その言葉だったんです」と話す。

「あの試合はナイターで次の日がデーゲーム。僕、毎日グラウンドに来たらランニングするので、朝からおばちゃんたちが掃除しなきゃいけないって光景を何回も見てきたので、ナイターデーの掃除って大変だなって、その時もふとよぎったんですよ」。とっさに機転を利かせるのも“能力”だろうが、これが大反響で2009年3月に甲子園球場から「甲子園美化委員長」に任命されるまでになったのだから、何がきっかけになるかわからない。

 2008年、プロ12年目の関本氏は「必死のパッチ」で初めて規定打席に到達して打率.298、8本塁打、52打点の成績も残した。8月4日の横浜戦(横浜)では三浦大輔投手から先制3ラン。プロ4年目のデビュー戦で三振を喫した奈良県の先輩から放った一発を関本氏は思い出しながら「めっちゃ、うれしかったです。三浦さんから打つのがずっと目標だったのでね」と声を弾ませた。

“岡田の教え”は財産…アドバイスのタイミングが「絶妙なんです」

 この年の阪神は2位。7月22日に優勝マジックを点灯させながら、巨人に逆転され、岡田監督が責任をとって辞任するという苦い思い出のシーズンでもあった。無念の思いでいっぱいだった。関本氏にとって岡田監督は2軍時代からお世話になっている恩師であり、恩人だ。自身の成長は、その出会いがあったからこそと言ってもいい。感謝してもしきれないほどだ。関本氏はこう話す。

「岡田監督がアドバイスをくれるタイミングって絶妙なんです。いったん悩ませて、泳がせて、自分で考えさせて、どうにもならない時しか声をかけてくれないから、声をかけてもらったら、めっちゃ良くなるんですよ。難しいことは言わないし、できることを、当たり前のことを言うというか、流れに逆らわないというかね」。その教えを受けたことは関本氏にとって財産でもある。

「例えばランナー三塁で犠牲フライを打ちなさいという時。犠牲フライって高めと低めとどっちが打ちやすいかといえば、高め。もしもバッティングの教科書があれば、高めのボールを打ちなさいとなるわけで、バッティングコーチが言うのもゾーンを上げて高めのボールを外野まで持って行け、なんですよ。その考えからすれば低めのボールは難しいわけですが、低めのボールを打ちなさいという岡田監督がいるわけですよ」。

 関本氏はさらに続けた。「客観的に考えると難しいボールを打てって言っているんですよね。だけど、相手が投げてくる確率が高いところは低めなわけで、それを打てというのは相手が投げるところを打て、というシンプルなこと。そういうことを言う人はいなかったから、なるほどねってね。僕だけじゃなくて浜(浜中治)も藤本(敦士)さんも赤星(憲広)さんにしても、僕らの年代で岡田監督との付き合いが長い人はそれを理解しているんです」。

“岡田の教え”によって関本氏は1軍で活躍できた。「必死のパッチ」をお立ち台で言えるようになったのも、そのおかげでもあった。岡田氏は2023年シーズンに阪神監督に復帰してリーグ優勝&日本一に導いたが、関本氏は「悪い打ち方をしている選手がいたら、今、監督は泳がしているんだろうなって思うし、新聞紙上とかでアドバイスを送ったみたいなのを見ると、これ以上、泳がしても答えが出てこないって時に言っているんだろうって感じるかな」と笑みをこぼした。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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