切り札に「代打がいるのは最悪」 狙った直球を空振り…阪神の“職人”が覚悟した瞬間「なんかおかしい」

元阪神・関本賢太郎氏【写真:山口真司】
元阪神・関本賢太郎氏【写真:山口真司】

関本賢太郎氏は阪神一筋19年で引退…2度の故障、2軍での空振りが要因になった

「どうする?」と聞かれて「やめます」と答えた。元阪神内野手の関本賢太郎氏は、2015年シーズン限りでユニホームを脱いだ。タイガース一筋19年の現役生活だった。ラストイヤーは2度故障で離脱し「代打の切り札に代打がいるっていうのは……」と無念そうに話す。加えて2軍戦でのワンシーンが引退を覚悟する要因になったという。「真っすぐを狙って、真っすぐを空振りしたんです。今までの人生でそんなことは1度もなかったのに……」と明かした。

 和田豊監督率いる阪神は2015年シーズン、開幕から2試合連続サヨナラ勝ちでスタートさせた。プロ19年目の関本氏は2戦目の3月28日の中日戦(京セラドーム)、0-0の延長10回2死満塁で押し出しのサヨナラ死球で貢献した。「サヨナラデッドボールは何回かあるんです。そういう場面でインコースに投げてくる方が悪いですよ。こっちはそこに投げさせないようにベースいっぱいにくっついて、逃げへんでってところに投げてくるんですからね」。

 関本氏はサヨナラ打も多い選手だった。「サヨナラがあるケースで回ってきたら、自分がサヨナラを打った後にどうやってみんなに囲まれているかというイメージしか湧かしていない。打席でどうやって打つかじゃなくて、打った後にどうやって喜んでいるかっていうイメージなんですよ」。その思考で何度となくヒーローとなり、イメージ通りにナインに祝福され、お立ち台では決め言葉の「必死のパッチで頑張ります」と叫んでいたわけだ。

 しかし、19年目のシーズンは思うようにいかなかった。左脇腹を痛めて6月2日に戦線離脱。7月10日に復帰したが、今度は右背筋を痛めて8月6日に再び登録抹消となった。この2度の故障はショックだった。「代打の切り札は誰かの代打で行くのに、その代打がいるっていうのはチームにとっては最悪ですよね」。この怪我が引退に向けての引き金にもなったが、関本氏は「それともうひとつ、あれって思うことがあったんです」とも話す。

「1回目の怪我か、2回目の怪我か忘れましたけど、怪我明けの2軍戦で、真っすぐを狙って真っすぐを空振りしたんですよ。それは今までの人生では1度もなかったことなんです。真っ直ぐ6、変化球4くらいの割合で待って真っ直ぐを空振りしたことは当然ありますけど、真っすぐを100%待って真っすぐを空振りしたことがなかったので、なんかおかしいなというのを感じたんです。怪我とその2点ですね」

引退会見開くまでに10打数6安打の活躍も「いい時にやめたい」

 正式に引退を決意したのは球団フロントから来季に向けて「どうする?」と聞かれた時だという。「その場で『やめます』と言いました。必要としている選手に対して『どうする?』はないと思ったし、球団にそんなふうに気を遣わせたら駄目と思った。プロ生活19年のうち、18年は『どうする?』なんて言われたことがなかったわけですからね。もう1年やらせてくださいと言ったら、やらせてくれたかもしれない。でも、そういうふうには思いませんでした」。

 9月8日に1軍に復帰し、9月30日に引退会見を開くまでに代打で10打数6安打3打点1四球。結果を出していたが「いい時にやめたいというのはずっとありました」と言う。「2012年くらいから自分はどういう形で引退するのがベストなんだろうなというのを考えていた。ボロボロになるまでやるのとどっちがいいかなって葛藤もあったんですけど、最後10打数6安打だったし、まだできるやんって思われてやめるのっていいなっていう結論に至ったんです」。

 好調だった9月の成績も、終わりを覚悟した上での結果でもあったという。「やめるって決めたらプレッシャーがないので、めっちゃ打てたんですよ。それまでは、楽しんで野球なんかできるわけないって思っていましたけど、最後の10打席とかは来年打席に立つことないし、楽しんでやったらめっちゃ打てたんです。やっぱりプレッシャーってあったんだなって思いましたね」と振り返った。

 引退試合はレギュラーシーズン最終戦だった10月4日の広島戦(甲子園)。関本氏は0-6の8回裏2死一塁で代打出場し、黒田博樹投手と対戦してピッチャーゴロだった。9回表は三塁守備に就き、試合後の引退セレモニーでは「阪神タイガース背番号3、関本賢太郎は今年でユニホームを脱ぎますが、これから始まる第2の人生は、支えてくれた皆さんのためにも、必死のパッチで頑張ります」などと挨拶。背番号「3」にちなんでナインから3回胴上げされた。

「最後の打席、引退する選手には真っ直ぐばかりが来るのかなってイメージがあったんですけど、黒田さんは全球種を投げてきて、なんやったら三振を狙いにきているような雰囲気でした。何とか最後バットに当てたって感じでしたね。聞いたことはないんですけど、もしも黒田さんが全力で投げるのが引退選手へのはなむけとの考えだったら、それはそれでうれしいと思いました」。関本氏にとって思い出深い黒田との対決にもなったようだ。

野球評論家として9年目「いつかはユニホームを着てみたい」

「セレモニーの挨拶は、試合が終わってからカンペを見ながらおさらいしようと思っていたんですけど、そんな時間がなかったんですよ。だからもうほぼアドリブで……。言いたいことは言えたとは思いますけどね」。もっとも関本氏の出番はこの後にもあった。それから8日後の10月12日の巨人とのクライマックス・シリーズ(CS)ファーストステージ(東京ドーム)第3戦に「6番・三塁」でスタメン出場したのだ。

「引退すると言っているのに、まぁまぁ大事な打順でね。必要とされていたのか、されていなかったのか、よくわからなかったですね」と関本氏は複雑な表情で話した。結果は3打数無安打。巨人の左腕アーロン・ポレダ投手の前に見逃し三振と空振り三振。ラストの3打席目は、スコット・マシソン投手と対戦してライトフライだった。阪神は1-3で敗れ、CS敗退。関本氏の現役生活は本当に終わりとなった。

 2024年、関本氏は野球評論家として9年目を迎えた。引退セレモニーの挨拶で「いつか、この甲子園に帰ってきたいと思います」と声を張り上げたように「いつかはユニホームを着たいとは思うんですよ」と胸の内を明かす。「でもその前にアマチュアの指導を経験してみたい。自分らが若い時に受けていた指導方針と、今の子たちへの指導方針が全然違いますから。コーチでも一定期間はやった方がいいだろうなって思っています」と付け加えた。

 2023年にリーグ優勝&日本シリーズ制覇を成し遂げた古巣・阪神のことは、もちろん気になっている。岡田彰布監督は関本氏にとって恩師でもあるのだから、なおさらだ。「同じことを続ける大変さってすごくあると思うけど、そこをかいくぐりながらやれた時は優勝するだろうし、連覇を達成してほしいなと思います」と力を込めた。

 プロ通算成績は1272試合、807安打、48本塁打、312打点、164犠打、打率.278。スタメン全打順を経験し、内野の全ポジションをこなし、代打でも守備固めでも力を発揮した。無敵状態だった小中学校時代、プロ野球選手になることを何よりも優先した高校時代を経て、プロで職人技に磨きをかけた関本氏はまだ45歳。父・幸雄さんとの猛烈練習から始まった野球人生は、これからさらに厚みを増していくはずだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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