他球団でレギュラーか、阪神残留で控えか FA取得で息子に“相談”…活力剤になった一言

阪神でプレーした関本賢太郎氏【写真:山口真司】
阪神でプレーした関本賢太郎氏【写真:山口真司】

2010年に代打で10打席連続出塁…オフにFA権行使、3年契約で阪神に残留した

 元阪神内野手の関本賢太郎氏は、現役時代に1番から9番までの全打順を経験した。最後に残っていた4番には、プロ15年目の2011年9月1日の中日戦(ナゴヤドーム)で起用された。阪神の第92代4番打者となり2試合務めたが「もう2度とやりたくないと思いました」と正直な胸の内を明かす。そもそも、打診された時も全く乗り気ではなかった。「そんなタイプじゃないです」と断っていたという。

 どんな仕事もこなせる関本氏はチームにとって重宝な選手だった。ただ、どこでも守れることもあって、同じ場所に固定されることもなかった。「毎年、順風満帆にいかなかったんですよね」。2009年は新井貴浩内野手が一塁から三塁に回り、三塁レギュラーだった関本氏が一塁へ。6月からは新加入のクレイグ・ブラゼル内野手が一塁に就き、今度は二塁を守った。そんな中で規定打席に到達して打率.271、3本塁打、44打点。まさに「必死のパッチ」の奮闘だった。

 プロ14年目の2010年からは代打&守備固めがメインとなった。5月12日の日本ハム戦(甲子園)から、7月7日のヤクルト戦(甲子園)までは代打で10打席連続出塁。その間は二塁打、四球、四球、左前打、死球、四球、三塁打、四球、四球、本塁打。あと1打席で日本タイ記録だったが、7月8日のヤクルト戦(甲子園)は代打で中飛に倒れた。

「一流選手って記録の節目はよくホームランで飾るイメージがあったので、久しぶりに狙ったんですよ。バックスクリーンに行ったかと思ったんですけどね。(ヤクルトのセンターなと思いました)青木(宣親)が大ジャンプして捕ったんです。やっぱり僕は一流になれないね」。関本氏は苦笑しきりだったが、10打席連続のうち四球出塁が5つ。「四球は僕のスタイルでもあったのでね。打たなくてもチームに貢献できるわけですから」と満足そうにも話した。

プロ15年目の2011年に初の4番…全打順を経験した

 オフにはこの年に取得したFA権を行使し、宣言残留となった。「金額にしても契約年数にしてもタイガースが僕を必要としていることが十分に伝わってきた。普通、複数年とかはレギュラーの選手に提示するものなのに、控えになりつつあるところで3年契約を提示してくれましたからね。これで他球団の評価を聞きにいくというのはちょっと違うと思った」という。

「あの時、8歳だった長男にもFAの話をしたんですよ。他球団でスタメンに出るのと、阪神で控えのパパとどっちがいいかって聞いたんです。そしたら『阪神でスタメンに出てほしい』と違う答えが返ってきた。それも残留の決め手ですかね」。長男の言葉が活力剤にもなったのだろう。プロ15年目の2011年は5月下旬からスタメン機会も増えてきた。そして9月1日の中日戦(ナゴヤドーム)で阪神の第92代4番打者になり、1番から9番までの全打順をコンプリートだ。

「(本来の4番の)新井さんの調子が悪くて、真弓監督から『4番で行くぞ』って言われたんですが、最初は『無理です。そんなタイプじゃないです』って断ったんです。でも『お前しかおらんから』『今日だけだから』って言われて……。その次の試合も4番だったんですけどね」。結局、関本氏は2試合4番を務めて、計5打数1安打1打点2四球の成績で終えた。

「4番にどうつなぐかということをずっとやってきたのに、みんなからつながれて掃除する役目ってこんなに大変なのかと思いましたね」と関本氏は振り返った。さらに「小さい頃はさんざん4番をやってきたけど、もう2度とやりたくないと思いました。プロ野球の4番は相当メンタルが強くないとできないですよ」と付け加えた。身をもって知った虎の4番の重み。それは嘘偽りのない本音だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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