グラウンドを見て「こりゃやばいと思った」 スーパー中学生がPL学園を“回避”したワケ

元阪神・関本賢太郎氏【写真:山口真司】
元阪神・関本賢太郎氏【写真:山口真司】

元阪神の関本賢太郎氏は天理へ進学…PL学園は練習を見学して回避

 巨人のドラ1右腕に続こうと決めた。元阪神内野手の関本賢太郎氏は1994年、天理高(奈良)に進学した。中学時代に全日本入りした逸材には東北から九州まで30の高校がスカウトに来たが、来ていなかった地元の天理を敢えて選択した。プロを目指すにもベストな高校と判断した。PL学園(大阪)も有力候補だったが、練習見学の際にきれいなグラウンドを見て“回避”を決めたという。

 中学生の関本氏をスカウトに来た多くの高校の中に、地元の天理はなかった。「天理はスカウトをしないんですよ。自分から行きたい人をテストするスタイルなのでね。でも、その時は知らなかったので、なんで来ないんだろうって思っていましたけどね」。天理は子どもの頃から身近な学校でもあった。「今の佐藤薬品スタジアム、橿原球場が家から近かったから、よく高校野球を見に行ったんです。その時に天理強いなぁってイメージを持っていました」。

 中学3年生だった関本氏は「甲子園に行くというよりも、プロ野球選手になるためには、どこに行ったらいいんだろうって感覚で高校を選んでいた」という。スカウトがあった学校の中からPL学園を最終候補に残したのもそれが理由だったが、どうしても天理は捨てきれなかった。「中学の時にチーム(橿原コンドル)で練習見学かなんかで天理に行った時に、谷口さんがスーツ姿でグラウンドに来られていて写真を撮ってもらった。その記憶も残っていたのでね」。

 1991年ドラフト会議で天理・谷口功一投手は巨人から1位指名を受けて入団した。プロでは怪我に泣かされて活躍できなかったが、関本氏にとっては憧れの人だった。「ああ、すごい、プロ野球選手だと思った」。その姿を見た時から、天理→プロ野球選手のルートが強く印象づけられていた。「天理に行きたいなぁって何となく思っていたんですよ」。チャレンジを決めた。多くの高校からスカウトされた中、敢えて天理のテストを受けて合格したのだ。

1年夏の甲子園はスタンド観戦…相手右腕の145キロ超に衝撃

「父はPLに行かせたかったのかなぁって気はしますけどね」。父に連れられてPL学園の練習も見学した。「自分の中でも天理かPLかって感じでしたが、練習を見て中学生ながらも、ちょっと空気感が強烈に映って……」。当時はどこの学校も上下関係が厳しかったが「天理よりもPLの方が厳しそうだなって感じたんですよね。グラウンド整備がきれいすぎて、こりゃあやばいなって思ったんです」。結果、天理を選択した。

 関本氏が1年夏に天理は甲子園に出場し、スタンドで観戦した。「今の天理は1年生から試合に使いますけど、僕らの時は入って夏までは体力作りと決まっていたのでね」。さすがの“スーパー中学生”もこればかりはどうすることもできなかったが、刺激は受けた。天理は初戦の2回戦で仙台育英に4-5のサヨナラ負け。相手エース・金村曉投手(元日本ハム、阪神)のストレートを「打ってみたいと思った」という。

「当時140キロを超えるピッチャーがめっちゃ、速いと言われていたけど、金村さんは145キロを超えていましたからね。自分がその時ピッチャーをしていたら、145なんて絶対投げられなかったから、うわっ、すげーなって。やっぱり高校1年生と3年生の差ってあるなぁって思いましたよね、甲子園で」。関本氏は1年秋からレギュラーの座をつかんだ。プロ野球選手になるための高校生活は、そこから本格化していった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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