阪神からパ移籍も「野球どころじゃない」 まさかの消滅危機に…今も続く“儀式”を発案|球界群像 川尻哲郎#20
2003年オフ、近鉄へトレード移籍した川尻哲郎氏【写真提供:産経新聞社】川尻哲郎氏は2004年に近鉄移籍、開幕ローテ入りも援護に恵まれなかった
2003年オフに阪神から近鉄にトレード移籍した横手投げ右腕の川尻哲郎氏だが、そこで待っていたのは近鉄とオリックスの合併だった。2004年のシーズン中に事態が表面化。セ・リーグ、パ・リーグの12球団2リーグ制から球団数を減らした1リーグ制への球界再編問題も取り沙汰された。この動きに日本プロ野球選手会は大反発。川尻氏も危機感を募らせ、反対の署名活動など積極的に動いた。「近鉄で思い出すのはそういうことですよねぇ……」と話した。
星野仙一監督率いる阪神がセ・リーグを制覇した2003年、プロ9年目の川尻氏はわずか2登板で1勝1敗、防御率9.00の不完全燃焼でシーズンを終えた。オフには前川勝彦投手との交換トレードでの近鉄移籍が決まった。「環境を変えて一生懸命やろうという気持ちにもなった」。新天地での背番号は11。「(過去に)野茂(英雄投手)や大塚(晶文投手)がつけていて、すごいいい番号を用意してくれたなぁって思いました」。当然、気合も入った。
初めてのパ・リーグ。入団以来、人気球団の阪神しか知らなかっただけに、やはり“差”は感じたという。「キャンプから、マスコミも含めて人が少ないとは思いましたね。そうだということはわかっていたんですけど、ホント少ないな、何かのんびりしているなってね。まぁ、静かに野球ができるな、みたいにも思ったし、集中はできましたね。(阪神で同僚だった)北川(博敏内野手)や星野(おさむ内野手)や山村(宏樹投手)とかもいたしね」。
近鉄・梨田昌孝監督の下で先発ローテーション入りし、開幕5戦目の3月31日のロッテ戦(大阪ドーム)に先発して7回無失点、移籍後初登板で初勝利をマークした。だが、打線の援護にあまり恵まれなかった。4月6日のダイエー戦(大阪ドーム)は9回1失点で勝ち負け関係なし(近鉄が延長10回サヨナラ勝ち)。4月13日のダイエー戦(福岡ドーム)は2失点完投で敗戦投手(試合は0-2)になった。
2004年6月に球団合併問題が表面化…反対の署名活動などに動いた
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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