阪神移籍で悟った限界「もう終わりだな」 引退を決意した“20m”、抱え続けた異変|球界群像 長嶋清幸#24
広島など4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】長嶋清幸氏、阪神では代打中心…最後は守れず引退決断
日本球界で初めて背番号0をつけた長嶋清幸氏は1997年シーズン限りで現役を引退した。広島、中日、ロッテを経て1994年から所属した阪神で18年間に及んだプロ選手生活に幕を降ろした。長年、怪我との闘いも繰り広げながらプレーを続けてきたが、最後は肩の状態がどうにもならなかったという。「打って、走って、守る。それができなかったら野球選手じゃないなって常に思っていたのでね」。走攻守3拍子にこだわってケジメをつけた。
長嶋氏は1993年オフにロッテから金銭トレードで阪神に移籍した。広島時代などと同様に背番号0をつけ、代打稼業が中心ながら、移籍1年目の1994年は70試合に出場して、113打数35安打の打率.310、4本塁打、16打点。前年(1993年)のロッテでの成績(40試合、68打数11安打、打率.162、1本塁打、5打点)をすべて上回った。阪神では当時、代打に回っていた真弓明信外野手に「お世話になったなぁ」と口にした。
「真弓さんを見て、学んだ。口数の少ない人なんだけど、話はしてくれた。手取り足取りとかはないから、その言葉の中で、やり方とか、雰囲気とか、考え方を自分なりに理解して取り入れていくというか……。真弓さんが代打の切り札で、俺は突破口を開く役割が多かった。監督が中村(勝広)さんの時は代打で出る順番も決まっていたしね」。帰ってきたセ・リーグの野球で精いっぱい、力を発揮した。
思いがけぬ引退試合、コーチ就任…後に知った恩人の気遣い
「そしたら、向こうも俺に用事があったっていうんだよね。『いいところで電話がかかってきた。こっちもちょっとお前に話があったんだ』って。で、行ったら同じことだった」。選手生活にピリオドを打つことが決まり、9月15日に引退を正式に表明した。シーズン最終戦の10月12日の横浜戦(甲子園)、9回裏の代打出場が現役ラスト打席になった。当時を思い出しながら、長嶋氏は感慨深げにこう話す。
「阪神に4年しかいなかった俺に引退試合をやってくれるというから“えーっ、なんで”ってまず思ったんだよね。それだけじゃなくて『コーチとしてもオファーするけど、どうだ、やる気あるか?』と聞かれて、それもまた“えーっ?”みたいな話で“何が起こっちゃったんだろう、ありがたいな”って思った」。長嶋氏は1998年から2003年まで阪神でコーチを務めたが、そこまで優遇されたことを喜びながら謎でもあったという。
その“答え”はだいぶ後になって、1997年当時の阪神球団常務取締役で、2001年からは球団社長も務めた野崎勝義氏に聞いたと明かす。「野崎さんが(2007年に)球団を辞められた後、星野(仙一)さんのパーティーで会って、その時の話を知った。『あれはね、広島の(先代オーナーの)松田耕平さんに“長嶋って阪神におるやろ、すごくかわいがっていたんや。何とかちゃんとさせてあげたいから、悪いけど面倒見てくれないか”と頼まれたんだよ』って」。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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