マウンドで“謝罪”「ごめん、ストライク入らんわ」 喜べぬ2安打完封…伝説へ苦難の連続|球界群像 太田幸司#7
元近鉄・太田幸司氏【写真:山口真司】 三沢高の太田幸司氏はエースとして甲子園へ導いた
苦難の道のりだった。元近鉄右腕の太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神)は青森県立三沢高の2年生エースとして1968年夏に初めて甲子園を経験した。2回戦で海星(長崎)に1-3で敗れたものの、全国レベルにも通用したことで自信を得て、翌1969年春の選抜出場をかけた2年秋の戦いに臨んだ。それには東北大会優勝が絶対条件。厳しい戦いを乗り越えて、決勝は八重樫幸雄捕手(元ヤクルト)が4番の仙台商を4-0で下して何とかクリアした。
2回戦敗退ながら、1968年夏の甲子園で十分に戦えたことは大きな前進だった。「僕ら2年生が7人いるチームで経験できたわけですからね。そりゃあ、3年生になったらって思いましたよ」。地元に帰って新チームを結成。次なる目標の翌1969年春の選抜切符獲得へ向けて始動した。ただし、第50回の記念大会で1県1校が甲子園に出場できた夏と違って、出場へのハードルは高かった。「あの頃のセンバツは東北大会に優勝しないと行けなかったですからね」。
1969年春の選抜に出場できたのは26校。東北地区は青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の6県の優勝チームなどが戦う秋の東北大会を制した1校だけという狭き門だった。まずは秋の青森大会。準決勝で青森一に1-0で辛勝など、際どい試合もあったものの、優勝して東北大会に進出した。「まぁまぁ、それは、当然ね。とにかく東北大会をどうするか、だったんで……」と太田氏は話したが、実際、そこでの準決勝、決勝は厳しい戦いだった。
準決勝の日大山形戦は延長15回の激闘の末の勝利。「この辺ぐらいから延長癖がついてね……」と太田氏は笑う。のちの1969年夏の甲子園決勝で松山商との延長18回0-0再試合の伝説の激闘を繰り広げたが、そもそも延長戦になるケースが多かったそうだ。そして「あの時の東北大会の決勝は八重樫がいた仙台商。あれもヒヤヒヤものだったんですよ」と続けた。スコアは4-0で太田氏は2安打完封だったが「フォアボールを10個くらい出したんです」と制球に苦しんだという。
選抜大会で延長15回敗戦も…「全て最後の夏につながっていった」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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