原因不明のスランプで泥沼「何がどうなったのか」 完封後に8連敗…ドラ1が手放した“居場所”|球界群像 太田幸司#21
近鉄で活躍した太田幸司氏【写真:山口真司】3安打完封で復調確信も…太田氏が陥った“悪夢”「だんだん焦り出した」
突然、勝てなくなった。“元祖甲子園のアイドル”で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ5年目(1974年)から8年目(1977年)の4シーズンで3度、2桁勝利をマークするなどバファローズの主力投手として実績を重ねていった。しかし9年目(1978年)は一転してわずか1勝に終わった。原因不明の不調だったという。「何か、よくわからない年だったんですよねぇ」と苦笑しながら話した。
1969年夏の甲子園、決勝の松山商戦での延長18回“0-0引き分け”再試合の熱投などで、女性ファンの人気を集め「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした。一躍“国民的スター”となった太田氏は、同年のドラフト1位で近鉄に入団。1年目の1970年から1軍でプレーした。いきなりCM撮影の仕事が入るなど、その人気はすさまじく、オールスターゲームには1年目から6年連続で出場し、そのうち5回がファン投票で選出された。
人気先行と言われながら、シュート、スライダーをマスターするなどして実力の方も年々アップ。5年目の1974年には初の2桁10勝を挙げ、6年目の1975年にはキャリアハイの12勝を記録して近鉄主力投手の座も確立させた。球宴連続出場がストップした7年目の1976年も9勝。8年目の1977年は前半に7勝を挙げて球宴に監督推薦で“復帰”して、最終的には再び2桁勝利到達の10勝14敗1セーブ。防御率はパ・リーグ10位の3.21だった。
「まぁまぁ、その辺の4年間くらいはコンスタントに、って感じだったんですけどね」。その“いい流れ”が急に変わったのが9年目の1978年だ。開幕2戦目の4月2日のクラウン戦(平和台)に先発して、5回2失点で敗戦投手。4月9日のロッテ戦(先発)は4失点完投負けで2敗目を喫した。連敗スタートも3登板目の4月14日の日本ハム戦(日生)では3安打完封で1勝目を挙げ、調子のリズムを取り戻したはずだったが、そこから逆におかしくなった。
10勝→1勝→7勝と復活も…“伝説”の日本シリーズは登板すらできず
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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