憧れだったのに…巨人移籍を「断って辞めようかな」 予想外の放出、複雑だった“付属品扱い”|球界群像 太田幸司#24
元近鉄・太田幸司氏【写真:山口真司】元近鉄・太田氏が語る巨人へのトレード移籍の裏側
“元祖甲子園アイドル投手”の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ14年目の1983年開幕前の3月25日に石渡茂内野手とともに近鉄から巨人に移籍した。1981年以降、0勝のシーズンが続く苦しい立場でもあり「僕は刺身のつま。石渡さんの付属品、そんな感じだと思いました」。青森・三沢高から1969年ドラフト1位で入団以来、バファローズ一筋だった右腕は当初、移籍を断って引退することも考えたという。
1979年の阪急とのプレーオフ前に右肩痛を発症させてから太田氏は勝てなくなった。1980年は14登板で0勝4敗。近鉄・西本幸雄監督が勇退した1981年は1軍登板がわずか1試合の0勝1敗だった。「僕は西本さんが監督になってから2桁勝ちました。自分の一番いいときの監督。なのに、最後の年に何もできませんでしたからねぇ」と、恩師のラストシーズンに働けなかった悔しさを募らせた。
西本監督との思い出は尽きない。「厳しかったですからねぇ。僕なんか4回2/3で代えられたことも何度もありましたよ。でも、すごいのは(エースの)鈴木啓示さんにも試合中のベンチ前で「何だ、あれは、どないなっているんだぁ!」と怒るんですよね。監督によっては主力にへそを曲げられたら嫌と思う人もいるだろうけど、西本さんは逆でしたからね」と、ベテランも若手も関係なしの“熱い”姿は忘れられないという。
「試合中の西本さんは1球ごとにドン、ドーンとベンチを蹴飛ばしたりもしていた。負けて終わって僕らが荷物を片付けて『お疲れさまでした』と言っても座って動かない時もあった。勝負に対する気持ちはすごくて、負けたのに帰りのバスでチャラチャラやっていたら『お前ら、悔しくないのかぁ!』とよく怒られましたよ」。太田氏はそんな西本イズムで近鉄の主力投手になっただけに、指揮官最後の年に右肩痛のため何の恩返しもできなかったのは痛恨だった。
開幕前に待っていた通告、複雑だった巨人移籍「やめようかなって」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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