人気先行で「組織票かな」 2軍調整中に球宴選出…「もう嫌」を変えた夏の甲子園|球界群像 太田幸司#17
近鉄時代の太田幸司氏【写真提供:産経新聞社】太田幸司氏は高卒1年目から2軍調整続くも注目された
三沢高時代に甲子園を沸かせた元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)がプロで“きっかけ”をつかんだのは高卒3年目の1972年だ。2年目オフからフォームをスリークオーター気味にして、真っ直ぐ、カーブだけでなくシュート、スライダーも駆使するスタイルへの“改造”に着手。その成果が徐々に出始めた。舞台は甲子園、相手は巨人の王貞治内野手と長嶋茂雄内野手で「松坂じゃないけど、自信が確信に変わった」試合もあったという。
甲子園のアイドル球児という看板を背負って1969年ドラフト1位で近鉄入りした太田氏の成績は1年目25登板で1勝、2年目14登板で0勝。2年目はシーズン中に投球フォームもバラバラの絶不調に陥り、一時は引退も考えるほどに落ち込んだが、ある寺の住職に「甲子園で投げていた太田幸司を捨ててみなさい」などと言われて、気持ちを切り替えてフォーム改造などに取り組みはじめた。3年目はいわば再スタートの年だった。
すぐさま結果を出せたわけではない。新しい形を自分のモノにするまでには時間がかかった。1972年シーズンは、開幕9戦目の4月22日の南海戦(日生)で初登板。1-7の8回に3番手でマウンドに上がったが、門田博光外野手に一発を浴びるなど、1回4失点。その後は2軍調整が続いた。それでも人気は相変わらず絶大だった。「そんな中でオールスターのファン投票があって、また1位でしたからねぇ」。
元近鉄・太田幸司氏【写真:山口真司】 球宴で長嶋茂雄に“禁断”のシュート攻勢
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜太田幸司編〜
高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い|球界群像 太田幸司#27
飛び交った“誹謗中傷” 屈辱の無期限の活動休止も…甲子園実現に「やってよかった」|球界群像 太田幸司#26
阪神から突然の誘い「どうする?」 栄光のドラ1が黙々とこなした“裏方”…巡ってきた「最後の勝負」|球界群像 太田幸司#25
憧れだったのに…巨人移籍を「断って辞めようかな」 予想外の放出、複雑だった“付属品扱い”|球界群像 太田幸司#24
誰もが予想できぬ“最後の勝利” 復活信じた女性ファンも…ボロボロの元ドラ1「今だったら」|球界群像 太田幸司#23
洗顔で気づいた右肩の“悲鳴”「もう駄目」 日本S直前の悲劇「いっぺんにプチーンと」|球界群像 太田幸司#22
原因不明のスランプで泥沼「何がどうなったのか」 完封後に8連敗…ドラ1が手放した“居場所”|球界群像 太田幸司#21
OP戦絶好調で「いつ声がかかるのか」 開幕投手はお預け…自己最高も忘れぬ初登板の“洗礼”|球界群像 太田幸司#20
初の2桁も「大して上がらなかった」 チーム低迷で渋かった契約更改…超人気ドラ1の悲哀|球界群像 太田幸司#19
“肩重い”発言にまさかの返答「何gか量ってこい」 連投先発当たり前…忘れぬ昭和の酷使|球界群像 太田幸司#18