悲劇からの変身に中畑清が文句「抜いたなぁ!」 たった88球の完封呼んだ“粘着質”の助言|球界群像 鈴木孝政#14

巨人時代の中畑清氏【写真:共同通信社】巨人時代の中畑清氏【写真:共同通信社】

名伯楽・権藤博コーチに「同じことをしつこく言われた。何回もね」

 プロ10年目で“進化”した。「これがピッチングと思ったね」。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は、本格的な先発転向後の1982年7月1日の巨人戦(ナゴヤ球場)でプロ初完封勝利をマークした。わずか88球。100球以内で9イニング以上を投げて完封することを、現在は、MLBで「精密機械」と呼ばれた名投手グレッグ・マダックス氏にちなんで「マダックス」というが、鈴木氏はプロ初完封でやってのけた。

 1982年5月23日の大洋戦(宮城)で逆転サヨナラ満塁アーチを被弾したのをきっかけに、先発転向の方向で動いた鈴木氏だが、その悪夢の試合のあともリリーフで7試合に登板した。先発のチャンスが与えられたのは、6月18日の阪神戦(甲子園)で、ここを6回2/3、1失点で切り抜けて次につなげた。

 6月23日の巨人戦(後楽園)では敗戦投手にこそなったが、6回3失点と及第点。そして、7月1日の巨人戦で被安打5のプロ初完封を飾った。ケン・モッカ内野手のソロアーチによる1点を守り切って白星をつかんだ。

 悲劇の5・23から歓喜の7・1までの間、鈴木氏は1軍で登板しながら、権藤博投手コーチの指示で140キロ、130キロ、120キロの強・中・弱の3種類のストレートを実戦で使えるように練習を繰り返した。「この世界でもうちょっと生きたいと思ったからね。権藤さんからは同じことをしつこく言われた。何回も何回もね。そんなふうに同じことを何回も言うコーチって、俺、いいコーチだなって思う。経験したからわかるよ」。

打ってもらう球を使うことで「投球が面白くなった」

 相手打者のタイミングをずらすストレートの緩急。決して簡単なチャレンジではなかったが、鈴木氏はクリアし、自分のものにした。「打ってもらうボールを使うことで、ピッチングが面白くなった。抑えの時は抑え込むってだけで、ピッチングとしての妙はない。全力ほど簡単なものはないからね。成東高(監督)の松戸(健)先生に言われたもん。ピッチングで語れるようになったなってね」。

 プロ初完封の巨人戦。「印象に残っているのは、チャンスの中畑(清内野手)だね。飛びついてくるもんね。140キロのタイミングでいったら130キロ。そしたらひっかかっちゃうんですよ。チャンスならなおさら食いついてくる。中畑がショートゴロを打って『抜いたなぁ!』って文句を言いながら走って行った時が何回かあったよ。中畑清だけね」。見事な88球完封は鈴木氏の再出発ののろしみたいなものだった。

 鈴木氏はニュースタイルに、そして先発への道に導いてくれた近藤貞雄監督と権藤コーチに感謝している。「2人は俺の若い時からの師匠でもあるしね。ものにしたのは俺かもしれないけど、その方向に持っていってくれた時の首脳陣に2人がいたのも運が良かったと思っている」。この年、中日はリーグ優勝を成し遂げた。思い出深いプロ10年目だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

球界群像〜鈴木孝政編〜

突然の“首脳陣一掃”で戻ってきた落合博満 監督就任は幻に…低迷する中日への思い|球界群像 鈴木孝政#23「俺、いらないのかな」落合竜を1年で去ったワケ 「入院しろ」拒否して見せた“意地”|球界群像 鈴木孝政#22「年齢違反じゃないのか」 辛辣ヤジも…腐らず全うした“34歳の2軍開幕投手”|球界群像 鈴木孝政#21「どうするんや、来年」 日本S帯同も“蚊帳の外”…闘将の一言で察した戦力外|球界群像 鈴木孝政#20快投中の“強制降板”にブチ切れ「何で」 後輩の“踏み台”に…屈辱だった同情の賞金|球界群像 鈴木孝政#19勝利投手の賞金を超えた罰金 前代未聞の珍プレー…闘将が激怒した“とぼとぼ走り”|球界群像 鈴木孝政#18“決めごと”ばかりの生活も「女房を楽に」 神懸かりな1年を支えた妻の献身|球界群像 鈴木孝政#17マスコミが「誰ひとり、信用しない」 思わずポロリも…予想外だった投手の“告白”|球界群像 鈴木孝政#16屋台で飲み、就寝直前に「明日行くぞ」 連投お構いなし…呆然とした“予期せぬ通告”|球界群像 鈴木孝政#15“抑え失格”の烙印押された逆転満塁弾 正念場で下された仰天指令「勇気がいったよ」|球界群像 鈴木孝政#13

RECOMMEND

CATEGORY