“抑え失格”の烙印押された逆転満塁弾 正念場で下された仰天指令「勇気がいったよ」

中日時代の鈴木孝政氏【写真:共同通信社】
中日時代の鈴木孝政氏【写真:共同通信社】

鈴木孝政氏は10年目にサヨナラ満塁弾を喫し、抑えを剥奪された

 野球人生のターニングポイントだった。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)にとって大きな試合になったのがプロ10年目、1982年5月23日の大洋戦(宮城)だ。屈辱の逆転サヨナラ満塁ホームランを被弾。「あれで抑えをクビになったからね」。そんな大炎上をきっかけに、新たな道が切り開かれていったのだから分からない。“ニュースタイル”での先発転向。まさに不死鳥の如く、よみがえったのだ。

 8-4でリードした8回裏から鈴木氏はマウンドに上がった。2点を失い、2点差に詰め寄られたが、9回表に中日も1点追加。9-6で9回裏を迎えた。2死を奪って、あと1人。「俺だって、ああ、もう終わりだって思った」。ところが、ここからとんでもないことが起きた。代打・中塚政幸外野手が右前打、1番・山下大輔内野手が左前打、2番・屋鋪要外野手が中前打で満塁。全部初球を打たれた。

「中塚さんにカーン。次、山下大ちゃん、インサイド弱い、詰まったら、かんちゃん。屋鋪、カーブを投げてみたら甘かったと思ったけど、ピッチャーの足元に来た」。2死満塁とされ、打席には3番・長崎啓二外野手。1ボールからの2球目をライトスタンドに叩き込まれた。2死走者なしから、わずか5球で3点差をひっくり返された。

 仙台には母・初美さんの実家がある。その日は母方の親戚が来ており、試合後に宴会の予定だった。「ホテルに戻ったら親戚が待っていた。みんな暗い顔になっちゃうよね。俺も今日は勘弁してくださいって言いたかったけど、予定通り、行ったねぇ。飲み始めたら30分くらいで満塁ホームランを打たれたのを忘れちゃうような感じだったけどね。だって、宴会だし……。もちろん、つらかったけど、それも思い出だよね……」。

スピード差をつけた“3種の直球”を駆使し、完封勝利を飾った

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