マッサージ中に伝説の乱闘 巨人助っ人が投手を殴打…急いで参戦「行かないと罰金」

巨人クロマティが中日投手に激怒…元中日の米村氏が明かす舞台裏
元中日左腕の米村明氏はプロ3年目(1987年)に初完封を含む4勝をマークした。この年から監督は“若き闘将”星野仙一氏に代わり、必死に1軍に食らいつき出した結果だった。「星野さんには怒られたこともありました」と明かすように、そこでもまた、いろんな経験をした。試合中に乱闘が起きると「出ていかなかったら罰金」が当時の掟。慌ててグラウンドに飛び出していったこともあったという。
現役時代は燃える男、引退後はキャスターとしても人気を博した星野氏が1986年オフに39歳で新監督に就任した。米村氏はパームボールを習得して1軍マウンドで躍動。プロ2年目で成長の兆しを見せていた。星野監督は就任会見で「覚悟しとけ!」と、5位に終わった中日ナインにメッセージ。浜松秋季キャンプから始まった新体制に注目が集まった。12月にはロッテの3冠男・落合博満内野手もトレードで加入した。
「あの時の練習は別にきついとは思いませんでした。だって高校(PL学園)時代のことを考えたら……。だからスタミナはあった方かもしれませんね」と言う米村氏は、秋季キャンプでも翌年の春季キャンプでもアピールを続けたが、開幕は2軍スタートとなった。「また挫折でした。早く1軍に上がらなきゃいけないって必死でした。もう努力するしかなかったです」。1軍から声がかかったのは5月下旬だった。
5月20日の巨人戦(ナゴヤ球場)でシーズン初登板。5-6の9回、3番手でマウンドに上がり無失点、その裏、中日打線が2点を奪ってサヨナラ勝ちし、勝利投手になった。その後もリリーフで好投を続けると、6月10日の巨人戦(平和台)で先発のチャンスが巡ってきた。先発予定だった曽田康二投手がアクシデントで登板を回避し、急きょ命じられたマウンド。初回に3点を失ったが、2回以降は無失点投球。味方打線の援護もあり、8-3で巨人を下し、プロ初完投勝利を挙げた。
「初回は原(辰徳)さんに3ランを打たれました。その3点だけでしたけど、もう一生懸命ですよ(笑)。(中日)ベンチでは(星野監督が)『何やってんだ! こら!』って、(椅子などを蹴ったり)ドカン、ドカンですからね」。その翌日(6月11日の巨人戦、熊本藤崎台)には乱闘劇が発生した。背中に死球を受けた巨人のウォーレン・クロマティ外野手が怒り、中日・宮下昌己投手に殴りかかった一件だ。
星野監督に「怒鳴られたことは何度も」
「その時、僕はマッサージを受けていたんですが、“ウワー”っていうから、慌ててジャージーを着て飛び出していった覚えがあります。全員、行かないと罰金ですから」。ユニホームを着ている時は鬼神の如く厳しかった星野監督だが、米村氏は「僕は叩かれたりしたことはなかったです」と話す。「でも、代わりに武志(中村武志捕手)がね……」。とはいえ、怒られたことが一度もないわけではない。
「怒鳴られたことは何度もありましたよ。『お前は何を目標にして先発をやっているんだ』と聞かれて『(当時は)テレビに映るのが19時からですから、それまでは投げたいなと思っています』と答えたら『バカ。ひとり、ひとり抑えんかったら、どうするんじゃあ!』とかね。それも教訓にして、絶対そういうことを考えるのはやめようと思いましたけどね」。そんな中、7月9日の阪神戦(金沢)では被安打3、奪三振10でプロ初完封勝利をマークした。
「何回までだったか忘れましたが、途中までノーヒット(投球)でした」。まさに、ひとり、ひとりを丁寧に、慎重に抑えていっての結果だった。しかし、この頃から左肘痛に悩むようになった。「パームボールって肘への負担が大きいんですよ」。プロ3年目の成績は21登板で4勝2敗、防御率2.40。星野監督になって数字をアップさせた米村氏だが、それはコンディション問題と懸命に向き合いながら残したもの。この先、さらに過酷な日々が待っていた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)