オリックスジュニアに羽田耕一氏の孫が選出 祖父が率いたチームで「団結して戦いたい」
羽田耕一に関する野球ニュース・速報・コラムやインタビューの記事一覧。Full-Count(フルカウント)は野球専門の総合メディアです。
オリックスジュニアに羽田耕一氏の孫が選出 祖父が率いたチームで「団結して戦いたい」
61歳で“新天地”も…5年契約で「何も残せず」 不完全燃焼の猛指導「情けなかった」
元近鉄内野手で引退後も近鉄でコーチなどを務めた羽田耕一氏は2006年から2014年まで合併球団オリックス・バファローズのジュニア監督として子どもたちを指導した。オリックス退…
オリックスOBの集まりに「誰も行かないですよ」 消えない猛牛魂…近鉄戦士の“意地”
元近鉄の4番打者でもある羽田耕一氏は、現役引退後も球団に残り、1990年シーズンから2軍打撃コーチを務めた。1996年から1999年までは佐々木恭介監督、伊勢孝夫ヘッドコー…
監督から「ホテルで会おうか」 提示された3択…“消えた”現役も、未練なく選んだ第2の道
近鉄の主力打者だった羽田耕一氏は1989年限りで背番号3のユニホームを脱いだ。そのラストイヤーに近鉄はパ・リーグ優勝。現役最後の打席は、巨人との日本シリーズ第7戦(10月2…
土壇場で見失った“自分らしさ” 目の前で消えた優勝…屈辱の時間「ベンチに帰るのが嫌」
1988年10月19日、近鉄はロッテとのダブルヘッダー第2試合(川崎)を延長10回4-4で引き分けてリーグ制覇を逃した。終盤に首位・西武を追い上げ、この試合に勝てば逆転優勝…
試合前に激痛「グチャって音がした」 負傷も治療せず…今も治らぬ古傷が秘めた“誇り”
ついに体が……。元近鉄内野手の羽田耕一氏は現役晩年、両膝痛に苦しんだ。「(1986年のプロ)15年目からはもう……」とむなしそうに話す。「オープン戦でやってしまったんです。…
無理で壊れた体…言えなかった「痛い」の2文字 引退後の後悔「やめた方がよかった」
元近鉄内野手の羽田耕一氏は1972年から1989年まで18年間、現役でプレーした。プロ11年目(1982年)と12年目(1983年)には2年連続でオールスターゲームにファン…
報道陣に晒された“珍練習”「もう恥ずかしかった」 大打者がやけ酒…忘れぬ苦い記憶
現役時代、近鉄一筋でプレーした羽田耕一氏はプロ9年目の1980年にキャリアハイの30本塁打を放った。特に9月、10月の終盤2か月は13本塁打と絶好調でチームを後期優勝に導き…
痛恨の“サインミス”…監督からベンチで「知らんぷり」 一発でV貢献も、忘れられぬ光景
西本幸雄監督率いる近鉄は1979年、球団初のパ・リーグ制覇を成し遂げた。前後期制の前期に優勝し、後期優勝の阪急とのプレーオフを制した。羽田耕一氏はその時のV戦士のひとり。セ…
監督から「パンツ一丁になれ」 プロが新聞紙で打撃練習…まさかの指令で夜間特訓
山あり、谷あり――。元近鉄内野手で通算225本塁打の羽田耕一氏はプロ5年目の1976年、6本塁打に終わった。プロ2年目(1973年)に三塁レギュラーの座をつかんで12本。3…
親の前で飛んできた左手「なめとんのかぁ!」 突然の鉄拳に同僚は同情…後に知った誤解
若い時期から近鉄の主力選手として活躍した羽田耕一氏の背番号はプロ4年目の1975年に「30」から一桁の「3」になった。1974年オフに太平洋(現西武)にトレード移籍したスラ…
大記録目前も…先輩からの“圧力”で困惑「やっぱり駄目」 悔やんだ結末、届かなかったフルスイング
元近鉄内野手の羽田耕一氏は高卒3年目の1974年、監督推薦でオールスターゲーム初出場を果たした。4月29日の阪急戦(西宮)から5月1日の太平洋戦(平和台)の2試合にまたがっ…
名将が激怒し平手打ち「シーンとなった」 選手に求めた“意識”「180度変わりました」
元近鉄戦士の羽田耕一氏にとって最大の恩師は、プロ3年目の1974年シーズンから監督になった西本幸雄氏だ。1973年まで阪急を指揮していた名将が今度は近鉄強化に動き出したが、…
古い寮、狭い部屋…先輩に待たされた風呂 パ球団で驚いた“待遇”、1年目で実感したプロの壁
兵庫・三田学園から1971年ドラフト4位で近鉄入りした羽田耕一氏は高卒2年目の1973年5月から1軍に定着した。若くして三塁手のレギュラーの座をつかんだが、プロ入り当初は「…
阪神以外なら早大希望 ドラフト翌日に知ったパ4位指名「あぁ」も…説得に「仕方ない」
兵庫・三田学園で1年秋から遊撃レギュラーで4番打者だった羽田耕一氏は1971年のドラフト会議で近鉄から4位指名され、プロ入りした。近鉄との縁がスタートしたが、当初は意中球団…
暴力事件→甲子園の推薦辞退 同級生は涙、親も納得せず…“無関係”なのに受けたとばっちり
NPB通算225本塁打をマークした元近鉄内野手の羽田耕一氏は兵庫・三田学園で1年(1969年)秋からレギュラー遊撃手になった。2年(1970年)春の選抜には4番打者として出…
砂利で正座、入学前なのに…監督から「ピッチャーはクビ」 強豪校の厳しすぎた“指導”
元近鉄内野手の羽田耕一氏は1969年、兵庫・三田学園に進学した。尼崎市立若草中ではエースとして近畿大会準優勝。高校でも投手を続ける気持ちでいたが、当時の日下隆監督から早々に…
生粋の阪神ファンが宿した“近鉄魂” 貫く愛…球団合併も「古巣はオリックスではありません」
近鉄戦士としてNPB通算225本塁打、1504安打をマークしたのが羽田耕一氏だ。兵庫・三田学園から1971年ドラフト4位で近鉄入りし、高卒2年目で三塁のレギュラーポジション…
KEYWORD