落合政権と比較…立浪監督に「根性が欲しい」 中日OBが提言「迷っているうちは駄目」
藤波行雄 ニュース・速報
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コーチの一言に「もうがっかり」 怪我の“虚偽申告”で2軍落ち…腹括った戦力外
ドラフト1位入団で1974年新人王の元中日外野手・藤波行雄氏はプロ14年目の1987年シーズン限り、36歳でユニホームを脱いだ。他球団で現役を続ける話もあったが、3年目のオ…
覚悟し続けた戦力外も…大仕事で延ばした“現役生活” 完全試合投手に引導を渡した粘り腰
巧打の外野手として中日で活躍した藤波行雄氏はプロ5年目の1978年、初の開幕スタメンを勝ち取った。「1番・中堅」で4打数2安打1打点の好スタート。だが、レギュラー定着には至…
減俸、自費キャンプ、背番号剥奪、出場停止 「クビを覚悟」震え上がった中日の罰則
常にクビを覚悟していた。元中日外野手の藤波行雄氏は、プロ4年目の1977年シーズンから毎年“背水の陣”だった。1976年オフにクラウン(現西武)へのトレードを拒否して、背番…
“トレード拒否”が大問題に 批判の嵐も…「やり合え」の後押し、受け入れた出場停止
元中日外野手で1974年新人王の藤波行雄氏は、1976年オフにクラウン(現西武)へのトレードを拒否。出場停止などのペナルティを受けて残留したことでも知られる。令和の今でこそ…
「もう真っ白」トレードを引退覚悟で拒否 「悪質」と猛批判も…決意した野球協約破り
「さぁこれからって時にドーンと来た」。ドラフト1位入団で、1年目に新人王に輝いた元中日の藤波行雄氏にとって、まさかの出来事は3年目のオフ、1976年11月に起きた。クラウン…
熱烈勧誘も…ライオンズからの“指名拒否”「行きたくありません」 念願だった中日入り
1973年11月20日のドラフト会議で中日は中央大・藤波行雄外野手を1位指名した。東都大学リーグでは1年春から4年秋まで全試合にフルイニング出場し、歴代1位の通算133安打…
「お前、2試合で1軍か」先輩は“激怒” ぶつかり稽古で負傷…ドラ1を襲ったプロの洗礼
藤波行雄氏は1973年のドラフト1位で中日に入団した。1年目の1974年は90試合に出場し、打率.289、1本塁打、15打点。チームは20年ぶり2度目のセ・リーグ優勝を果た…
中日レジェンド怒り「日本の野球をナメている」 風呂を泡だらけに…規格外の大物助っ人
元中日外野手の藤波行雄氏は中央大時代にメジャーリーガーと“交流”した経験を持つ。大学4年の1973年「第2回日米大学野球選手権大会」で、渡米した際にロサンゼルス・ドジャース…
日本代表で起きた死亡事故…晴れ舞台が暗転 「俺のセカンドゴロで」19歳を襲った悲劇
悲しい出来事に遭遇してしまった。元中日外野手の藤波行雄氏は1972年、中央大3年時に「第1回日米大学野球選手権大会」のオールジャパンに選出された。神宮球場、岡山県営球場、中…
入学前にまさかの代打起用 受験勉強で練習不足も…“No.1右腕”から放った運命の一打
センター前ヒットが野球人生を切り開いた。元中日外野手の藤波行雄氏は1970年、中央大に進学した。1年春から4年秋まで全試合全イニング出場。“東都の安打製造機”の異名を持ち、…
受験失敗に絶望…少なかった「八百屋の売上げ」 「苦労してでも」プロへ導いた母の一言
決め手は母親の“一押し”だった。元中日外野手の藤波行雄氏は静岡商から中央大に進学したが、ここにもドラマがあった。早慶戦に憧れ、東京六大学に憧れ、早稲田大を受験したが、失敗。…
“甲子園のアイドル”は「超高校級だった」 鉄腕に脱帽も…危惧し続けた「投げすぎ」
日本中を熱狂させた1969年夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は激闘の末に延長18回0-0で引き分け。再試合で松山商が4-2で勝利したが、2試合27イニング、…
韓国籍で国体出られず「ショックだったと」 高校を中退→ドラフト経ず巨人入団
トレードを拒否して“ドラゴンズ愛”を貫いた男としても知られる元中日外野手の藤波行雄氏は山あり、谷ありの野球人生を歩んできた。1968年の静岡商2年夏には幼い頃からの夢のひと…
暴力事件→試合禁止…進学校辞退に教員は怒り 不祥事が変えた“ひねくれもん”の運命
高校で夏の甲子園準優勝、大学では大学選手権優勝、ドラフト1位でプロ入りし、新人王……。そんな輝かしい球歴の持ち主なのが、元中日外野手の藤波行雄氏だ。プロ3年目の1976年オ…
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