悲願のVにどんちゃん騒ぎ 酔っぱらって酒を回し飲み…忘れられぬエースの顔|球界群像 大石友好#7
強肩捕手だった大石友好氏(元西武、中日)が「最高の思い出」と話すのは1982年の日本シリーズだ。西武が中日を4勝2敗で下して日本一、最後は三振で決まった瞬間を捕手として経験…
悲願のVにどんちゃん騒ぎ 酔っぱらって酒を回し飲み…忘れられぬエースの顔|球界群像 大石友好#7
強肩捕手だった大石友好氏(元西武、中日)が「最高の思い出」と話すのは1982年の日本シリーズだ。西武が中日を4勝2敗で下して日本一、最後は三振で決まった瞬間を捕手として経験…
「1000万円で売ってくれ」 “引退先延ばし”へ直談判…野村克也が羨んだ強肩|球界群像 大石友好#6
強肩捕手で知られた大石友好氏は1980年の西武でのプロ1年目から1軍で活躍した。当時のライオンズは実績ある野手揃い。ルーキー捕手はそのなかでの奮闘だった。もちろん、そんな先…
挨拶代わりの“危険球”…捕手がとばっちり「よく怒られた」 衝撃のハチャメチャ投法|球界群像 大石友好#5
大エースとの出会いが大きな財産になった。ドラフト3位で河合楽器から西武に入団した大石友好捕手はプロ1年目から存在感を見せつけた。初出場、初スタメンは1980年4月5日の日本…
「駄目なら野球をやめる」ピアノ調律の資格取得 崖っぷちからプロ入りした名捕手|球界群像 大石友好#4
勝負の年に結果を出した。徳島・海南高から神奈川大を経て河合楽器入りした大石友好捕手(元西武、中日)は、社会人4年目の1979年ドラフト会議で西武から3位指名を受けた。当時2…
ドラフト前に絶望…プロ入りは「諦めた」 一度断念も、奮い立たせた同期のドラ5指名|球界群像 大石友好#3
強肩捕手として西武、中日で活躍した大石友好氏は徳島・海南高から神奈川大に進学した。「厳しい大学でした。プロ養成所って感じでした」。捕手として力をつけ、全日本候補にもなったが…
ドラ3指名拒否の逸材「残念だった」 他競技で成功も…今も“夢見る”プロ野球での姿|球界群像 大石友好#2
甲子園には行けなかった。元西武、中日捕手の大石友好氏は徳島・海南高2年(1970年)に内野手から捕手に転向。高校球界屈指の好投手・尾崎健夫氏とバッテリーを組んだが、2年夏は…
先天性の心臓病「野球はやめた方がいい」 医師から非情の通告も…運命を変えた出会い|球界群像 大石友好#1
星野仙一監督率いる中日で「抑え捕手」として活躍したのが大石友好氏だ。徳島・海南高から神奈川大、河合楽器を経て、1979年ドラフト会議で西武に3位指名されて入団し、リーグ優勝…
大谷翔平は「努力じゃない」 覚醒前夜…コーチが仰天した“ナイター翌日の行動”|球界群像 柏原純一#16
すべてが規格外だった。野球評論家の柏原純一氏は2004年から古巣である日本ハムのプロスカウトやアマスカウトを務めた。2017年で退団したが、その間、2014年と2015年の…
沈黙した野村監督「目立ちたがり屋が…」 “敬遠球サヨナラ打”新庄が出していたサイン|球界群像 柏原純一#15
選手として南海、日本ハム、阪神でプレーした柏原純一氏(野球評論家)は1988年に現役生活を終え、その後、指導者になっても力を発揮した。阪神、中日、日本ハムの3球団で打撃コー…
続いた深夜のドライブ…眠れぬ日々に「もう駄目だ」 新人の白星消した“許せないミス”|球界群像 柏原純一#14
最後は守備力の低下で引退を決意した。1988年、柏原純一氏(野球評論家)は南海、日本ハム、阪神と3球団を渡り歩いた18年間の現役生活にピリオドを打った。阪神でのラストシーズ…
阪神若手が大先輩に“失言” 前代未聞の態度にカチン…風呂場で「締め上げました」|球界群像 柏原純一#13
野球評論家の柏原純一氏はプロ16年目の1986年シーズンから阪神でプレーした。日本ハムから金銭トレードでの移籍だった。初めて経験するセ・リーグ。しかも、前年の1985年に日…
江川卓は「へみたいな投手」 拍子抜けのスタートも…大一番で“大変身”「嘘やろ」|球界群像 柏原純一#11
大沢啓二監督率いる日本ハムは1981年、19年ぶりのパ・リーグ優勝を成し遂げた。前期は4位だったが、後期に優勝して、プレーオフでロッテを破った。立役者の1人が選手会長であり…
唯一の“敬遠球HR”はなぜ生まれた? 42年前の奇跡…周到な計算と相手を欺いた餌撒き|球界群像 柏原純一#10
1981年7月19日、平和台球場で日本ハム・柏原純一内野手(現・野球評論家)は離れ業を演じた。西武・永射保投手が投じた敬遠球を何と左中間スタンドに運んだのだ。誰もが予想して…
銃撃で命を落とした“サモアの怪人” 「いい男だった」試合中にビール飲んだ豪傑助っ人|球界群像 柏原純一#9
現役時代、走攻守で活躍した野球評論家の柏原純一氏はプロ10年目の1980年シーズン、日本ハムで主に4番を務め、キャリアハイの34本塁打、96打点をマークした。1978年に南…
トレード拒否騒動の末の新天地 外様だらけのハムで飛躍…楽になった「ウチは寄せ集め」|球界群像 柏原純一#8
新天地で能力が開花した。1978年、南海・柏原純一内野手(現・野球評論家)は日本ハムに移籍した。一時は引退も辞さずのトレード拒否の構えだったが、恩師・野村克也氏に説得されて…
トレード通告に怒り「ロッテでなければ引退」 球界騒然…前代未聞の“立てこもり事件”|球界群像 柏原純一#7
野球評論家の柏原純一氏はプロ8年目の1978年シーズンから日本ハムでプレーした。そこからパ・リーグを代表する選手になっていくが、この移籍は“大騒動”の末のことだった。197…
夜中1時半…玄関前に立ってた野村監督 共同生活で監視下、フラフラだった25歳|球界群像 柏原純一#6
野球評論家の柏原純一氏にとって最大の恩師は南海時代の監督であった野村克也氏だ。大阪堺市中百舌鳥での個人面談から始まり、教えてもらったことは数え切れないほどある。プロ7年目の…
怠慢走塁に激怒「ちょっと来い」 出血も泥をつけてひた隠し…ドラ8がしがみついた1軍|球界群像 柏原純一#5
内野転向が転機になった。熊本・八代東時代、エースで4番だった野球評論家の柏原純一氏は、1970年ドラフト8位で南海に外野手として入団したが、2年目(1972年)に内野の練習…
ぼったくられて30倍超の支払い 殴り合い、窓から入ってくる先輩…18歳新人が浴びた洗礼|球界群像 柏原純一#4
プロ野球人生は“ぼったくり”からスタートした。野球評論家の柏原純一氏は1970年ドラフト8位で南海に入団した。新たな挑戦に気持ちも当然、高ぶったが、初めての“プロの世界”も…
予期せぬドラフト指名「君の名前を出した」 30年後に知った素人の“推薦”|球界群像 柏原純一#3
野球評論家の柏原純一氏は、1970年のドラフト会議で南海に8位指名された。「指名してくれないかな、プロに入りたいなって願望はあったので、うれしかったですね。順位は何位でもよ…
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