減俸、自費キャンプ、背番号剥奪、出場停止 「クビを覚悟」震え上がった中日の罰則|球界群像 藤波行雄#12
常にクビを覚悟していた。元中日外野手の藤波行雄氏は、プロ4年目の1977年シーズンから毎年“背水の陣”だった。1976年オフにクラウン(現西武)へのトレードを拒否して、背番…
減俸、自費キャンプ、背番号剥奪、出場停止 「クビを覚悟」震え上がった中日の罰則|球界群像 藤波行雄#12
常にクビを覚悟していた。元中日外野手の藤波行雄氏は、プロ4年目の1977年シーズンから毎年“背水の陣”だった。1976年オフにクラウン(現西武)へのトレードを拒否して、背番…
“トレード拒否”が大問題に 批判の嵐も…「やり合え」の後押し、受け入れた出場停止|球界群像 藤波行雄#11
元中日外野手で1974年新人王の藤波行雄氏は、1976年オフにクラウン(現西武)へのトレードを拒否。出場停止などのペナルティを受けて残留したことでも知られる。令和の今でこそ…
「もう真っ白」トレードを引退覚悟で拒否 「悪質」と猛批判も…決意した野球協約破り|球界群像 藤波行雄#10
「さぁこれからって時にドーンと来た」。ドラフト1位入団で、1年目に新人王に輝いた元中日の藤波行雄氏にとって、まさかの出来事は3年目のオフ、1976年11月に起きた。クラウン…
熱烈勧誘も…ライオンズからの“指名拒否”「行きたくありません」 念願だった中日入り|球界群像 藤波行雄#9
1973年11月20日のドラフト会議で中日は中央大・藤波行雄外野手を1位指名した。東都大学リーグでは1年春から4年秋まで全試合にフルイニング出場し、歴代1位の通算133安打…
「お前、2試合で1軍か」先輩は“激怒” ぶつかり稽古で負傷…ドラ1を襲ったプロの洗礼|球界群像 藤波行雄#8
藤波行雄氏は1973年のドラフト1位で中日に入団した。1年目の1974年は90試合に出場し、打率.289、1本塁打、15打点。チームは20年ぶり2度目のセ・リーグ優勝を果た…
中日レジェンド怒り「日本の野球をナメている」 風呂を泡だらけに…規格外の大物助っ人|球界群像 藤波行雄#7
元中日外野手の藤波行雄氏は中央大時代にメジャーリーガーと“交流”した経験を持つ。大学4年の1973年「第2回日米大学野球選手権大会」で、渡米した際にロサンゼルス・ドジャース…
日本代表で起きた死亡事故…晴れ舞台が暗転 「俺のセカンドゴロで」19歳を襲った悲劇|球界群像 藤波行雄#6
悲しい出来事に遭遇してしまった。元中日外野手の藤波行雄氏は1972年、中央大3年時に「第1回日米大学野球選手権大会」のオールジャパンに選出された。神宮球場、岡山県営球場、中…
入学前にまさかの代打起用 受験勉強で練習不足も…“No.1右腕”から放った運命の一打|球界群像 藤波行雄#5
センター前ヒットが野球人生を切り開いた。元中日外野手の藤波行雄氏は1970年、中央大に進学した。1年春から4年秋まで全試合全イニング出場。“東都の安打製造機”の異名を持ち、…
受験失敗に絶望…少なかった「八百屋の売上げ」 「苦労してでも」プロへ導いた母の一言|球界群像 藤波行雄#4
決め手は母親の“一押し”だった。元中日外野手の藤波行雄氏は静岡商から中央大に進学したが、ここにもドラマがあった。早慶戦に憧れ、東京六大学に憧れ、早稲田大を受験したが、失敗。…
“甲子園のアイドル”は「超高校級だった」 鉄腕に脱帽も…危惧し続けた「投げすぎ」|球界群像 藤波行雄#3
日本中を熱狂させた1969年夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は激闘の末に延長18回0-0で引き分け。再試合で松山商が4-2で勝利したが、2試合27イニング、…
韓国籍で国体出られず「ショックだったと」 高校を中退→ドラフト経ず巨人入団|球界群像 藤波行雄#2
トレードを拒否して“ドラゴンズ愛”を貫いた男としても知られる元中日外野手の藤波行雄氏は山あり、谷ありの野球人生を歩んできた。1968年の静岡商2年夏には幼い頃からの夢のひと…
暴力事件→試合禁止…進学校辞退に教員は怒り 不祥事が変えた“ひねくれもん”の運命|球界群像 藤波行雄#1
高校で夏の甲子園準優勝、大学では大学選手権優勝、ドラフト1位でプロ入りし、新人王……。そんな輝かしい球歴の持ち主なのが、元中日外野手の藤波行雄氏だ。プロ3年目の1976年オ…
中日を「離れたくない」 予感通りに“恩人”から直電…勃発した西武との争奪戦|球界群像 大石友好#15
どんでん返しだった。1991年シーズン限りで現役を引退した元西武、中日捕手の大石友好氏は1992年から1994年まで中日で指導者を務めた。1軍バッテリーコーチ補佐を1年、そ…
監督から無情の引退勧告「気持ちが終わった」 悟った引き際…最終戦は「記憶ない」|球界群像 大石友好#14
西武、中日の2球団で活躍した名捕手の大石友好氏は1991年シーズン限りで引退した。1979年ドラフト3位で西武に25歳で入団し、1985年に中日へ移籍。通算12年間の現役生…
歓喜目前の悲劇「僕も行くもんだと」 まさかの星野采配…悔しかった“コンビ解消”|球界群像 大石友好#13
「リリーフキャッチャー」「抑え捕手」。これらは強肩捕手で活躍した大石友好氏の中日時代の代名詞だ。星野仙一監督が守護神・郭源治投手と大石氏をセットで終盤に起用するようになり、…
高めカーブに絶叫…快挙に“疑惑の判定” 「ボール気味だった」捕手がぶっちゃける裏側|球界群像 大石友好#12
歴史的快挙をサポートした。1987年8月9日の巨人戦(ナゴヤ球場)で中日の高卒ルーキー・近藤真一投手がプロ初登板でノーヒットノーランの偉業を達成した。その試合でスタメンマス…
星野監督に「クソって思うことも」 試合中に凄まじいゲキ…相手より気になったベンチ|球界群像 大石友好#11
やられたら、やり返せ! 1987年シーズンから中日を率いた星野仙一監督は闘争心むきだしの野球でチームを変えていった。4月10日の巨人との開幕戦(後楽園)でいきなりユニホーム…
顔面死球→陥没骨折も1か月で復帰 控えでも折れず…新天地で見せた“いぶし銀”|球界群像 大石友好#10
新天地で新ニックネームがついた。現役時代、強肩捕手で知られた大石友好氏はプロ6年目の1985年キャンプ前に西武から左腕の杉本正投手とともに、中日にトレード移籍した。「名古屋…
新聞で知ったトレードに愕然 裏切られた「必要だから」…泣きながら受けたエースの投球|球界群像 大石友好#9
西武、中日で捕手として活躍した大石友好氏にとって、1985年1月24日は“運命の日”になった。西武・杉本正投手、大石氏と中日・田尾安志外野手の2対1の交換トレードがスポーツ…
失った首脳陣からの信頼「ほとんど2軍に」 食事もできず…日本Sで経験した“悪夢”|球界群像 大石友好#8
広岡達朗監督率いる西武は1983年シーズン、2年連続でパ・リーグ優勝、日本シリーズ制覇を成し遂げた。セ・リーグ優勝の宿敵・巨人を倒しての日本一にチームは沸いたが、当時西武捕…
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