防御率135.00→1.70で沢村賞 最多勝と5差で“期待度薄”も…どん底からの大出世|球界群像 大野豊#10
1点取られたら負けのつもりで投げた。元広島投手の大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)はプロ12年目の1988年、最優秀防御率(1.70)のタイトルと沢村賞を受賞した。「1点…
防御率135.00→1.70で沢村賞 最多勝と5差で“期待度薄”も…どん底からの大出世|球界群像 大野豊#10
1点取られたら負けのつもりで投げた。元広島投手の大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)はプロ12年目の1988年、最優秀防御率(1.70)のタイトルと沢村賞を受賞した。「1点…
19歳に「いとも簡単に打たれた」 3連勝から逃げた日本一…今も忘れぬ37年前の衝撃|球界群像 大野豊#9
1986年オフに、パ・リーグで打率、本塁打、打点の3冠王に3度輝いた落合博満内野手がトレードでロッテから中日に移籍し、プロ野球では日本人初の1億円プレーヤー(1億3000万…
9連勝から悪夢の大失速「体がおかしくなる」 原因は不明…止められぬ“負の連鎖”|球界群像 大野豊#8
夏が終わった頃が課題だった。広島OB会長の大野豊氏はプロ8年目の1984年シーズンから抑えから先発に配置転換となった。いきなり無傷の9連勝をマークし「これは15勝以上は堅い…
「お前は投げるな」強烈ヤジ浴びる地獄の日々 うなされ寝付けず…抑えのトラウマ|球界群像 大野豊#7
広島カープは1979年、1980年に2年連続でリーグ優勝&日本シリーズ制覇を成し遂げた。広島OB会長で野球評論家の大野豊氏はプロ3年目と4年目の時期だった。「自分はそれほど…
優勝の瞬間を見逃した「とんでもない男」 ベンチでぽつん…胴上げ参加できない大失態|球界群像 大野豊#6
広島OB会長で野球評論家の大野豊氏はプロ3年目の1979年にリーグ優勝、日本一を経験した。58登板、5勝5敗2セーブ、防御率3.84。シーズン当初は先発だったが、途中からリ…
見るなの忠告も「見てしまった」 恐怖で足ガクガク…忘れもしない王貞治の“睨み”|球界群像 大野豊#5
初対戦で足が震えた。元広島のレジェンド左腕・大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)はその日のことを鮮明に覚えている。1978年5月3日、敵地・後楽園球場での巨人戦。打席には世…
「息子さんに手を」母に謝罪した伝説の左腕 神宮のベンチ裏で…覚醒促した“愛の鉄拳”|球界群像 大野豊#4
「サクラサク ユタカ」。元広島投手で野球評論家の大野豊氏は、プロ2年目の1978年シーズン前に島根県出雲市に住む母・富士子さんに電報を打った。開幕1軍を勝ち取った知らせだっ…
絶望の防御率135.00で謝罪「もう出たくない」 涙を流しながら歩いた“失意の帰り道”|球界群像 大野豊#3
衝撃的なデビューだった。元広島投手の大野豊氏(野球評論家、広島OB会長)はプロ1年目の1977年9月4日の阪神戦(広島)で初登板を果たした。2-12の8回に4番手で投げたが…
プロ入り熱望も「パ・リーグはちょっと嫌」 軟式から大エースへ…本心でこじ開けた扉|球界群像 大野豊#2
運命に導かれるようだった。広島OB会長で野球評論家の大野豊氏は、21歳だった1977年2月に広島カープのテストを受けて合格。同年3月にドラフト外で入団となった。軟式の出雲市…
中学で陸上部も挫折、高校でも無名 故郷から「離れない」…殿堂入り左腕が選んだ軟式野球|球界群像 大野豊#1
「我が選んだ道に悔いはなし」。1998年9月27日、広島市民球場での引退セレモニーで大野豊投手(現野球評論家)はこの言葉を力強く口にした。1977年3月に広島カープにドラフ…
“隠し玉”が「噂になって」まさかの2位指名 ドラフトの歴史変えた想像超える急成長|球界群像 正岡真二#11
元中日内野手の正岡真二氏は17年間の現役生活、12年の指導者生活の後、1999年から2014年まで16年間にわたってスカウトを務めた。関わった選手が多い中、思い出深いのは四…
「ガーンとやったら必ず使う」 激怒さえ計算ずく…選手を“その気”にする絶妙操縦術|球界群像 正岡真二#10
元中日内野手の正岡真二氏(現・名古屋北リトルリーグ総監督)は、星野仙一氏の第1期中日監督時代(1987年~1991年)に1、2軍守備コーチ、第2期(1996年~2001年)…
荒木雅博に「何かおかしい」 GG賞6度の礎も…元竜コーチが疑問視した“落合采配”|球界群像 正岡真二#9
元中日内野手の正岡真二氏は1987年から1998年までの12シーズン、指導者としてドラゴンズのユニホームを着た。1軍守備コーチ、2軍守備コーチ、さらには2軍監督も務めた。現…
中日コーチ打診「できないですよ」 未経験なのに大抜擢…猛説得した新監督の“確信”|球界群像 正岡真二#8
闘将に口説かれた。元中日内野手の正岡真二氏(現・名古屋北リトルリーグ総監督)は1984年シーズン限りで17年間の現役生活にピリオドを打った。引退後は中日関連会社に勤務してい…
新監督からまさかの“引退差し戻し” 「やめたかったんだけどな」延びた現役生活|球界群像 正岡真二#7
元中日内野手の正岡真二氏(現・名古屋北リトルリーグ総監督)はプロ16年目の1983年、現役引退を決意した。高い守備力が売りだったが「その頃はもう、思うように体が動けなくなっ…
“宇野ヘディング事件”直後に起きた超絶美技 フィールドを全力疾走…知られざる献身|球界群像 正岡真二#6
中日・宇野勝内野手がショートフライを取り損ねて、おでこに当ててボールは転々。その間に1点を失い、ホームベース付近で星野仙一投手がグラブを地面に叩きつけて悔しがった。1981…
メジャーリーガーを真似て打撃開眼も…早すぎた見切りへの後悔「続ければよかった」|球界群像 正岡真二#5
1979年シーズン、セ・リーグ首位打者には打率.346で大洋のフェリックス・ミヤーン内野手が輝いた。メジャーリーグではブレーブスとメッツで活躍し、大洋には1978年から19…
Vパレードに参加できずも「うれしかった」 目に焼き付けた長嶋茂雄の引退セレモニー|球界群像 正岡真二#4
1974年、中日は20年ぶり2度目のリーグ優勝を成し遂げた。与那嶺要監督の下、チーム一丸となって巨人のV10を阻止した。元中日内野手の正岡真二氏は優勝を決めた10月12日の…
顔面直撃、捻挫、盲腸…名手襲った“負の連鎖” 転機は母のススメ「それがヒットだった」|球界群像 正岡真二#3
猛練習に明け暮れた。元中日の名手、正岡真二氏は今治南からドラフト4位でプロ入りし、1968年のプロ1年目から徹底的に鍛えられた。「2軍では1時間くらいノックした後に試合だか…
プロ野球に無関心も「お金に飛びついた」 予期せぬ“誘い”に即断…契約金は「全部渡した」|球界群像 正岡真二#2
プロ野球が12球団あることも知らなかった。元中日の名手、正岡真二氏は1967年ドラフト4位で指名された。今治南で甲子園に出場し、高校日本選抜メンバーにも入った将来性十分の遊…
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