ドラ1入団から1年…異例の“打撃投手” 日々薄まる周囲の期待「普通って感じ」|球界群像 都裕次郎#6
1976年の中日ドラフト1位左腕・都裕次郎氏はプロ1年目も2年目も1軍登板なしに終わった。2年目の仕事は“打撃投手”。「ほぼ1年間、1軍に帯同して試合に投げず、練習で投げて…
ドラ1入団から1年…異例の“打撃投手” 日々薄まる周囲の期待「普通って感じ」|球界群像 都裕次郎#6
1976年の中日ドラフト1位左腕・都裕次郎氏はプロ1年目も2年目も1軍登板なしに終わった。2年目の仕事は“打撃投手”。「ほぼ1年間、1軍に帯同して試合に投げず、練習で投げて…
監督に酷評されたドラ1「がっかりした」 先輩の野次にパニック…カーブの握りで牽制球|球界群像 都裕次郎#5
指揮官の言葉は辛辣だった。1976年ドラフト会議で“全体2番目”で中日に1位指名されて入団した都裕次郎氏は、1年目のキャンプで1軍投手のレベルの高さを思い知らされた。「ボー…
乗り気だった巨人の誘いも…部室で聞いた予期せぬ中日“1位指名”「ああそうですか」|球界群像 都裕次郎#4
滋賀・堅田高校の左腕・都裕次郎投手は、1976年11月19日のドラフト会議で中日から1位指名された。「全く予想していなかったので、びっくりしました」。事前に1位指名を確約し…
16点圧勝→1か月後に食らった“惨敗” あっけなかった最後の夏…無名で終わった好投手|球界群像 都裕次郎#3
頭角を現したのは高校2年の夏だった。元中日投手の都裕次郎氏は滋賀・堅田高2年の1975年、夏の滋賀大会1回戦の八幡商戦で7連続奪三振をマークした。当時の滋賀大会の記録で、こ…
部員9人で「4番・捕手」がまさかの転校 涙の別れ…元ドラ1が味わった“出場危機”|球界群像 都裕次郎#2
元中日左腕の都裕次郎氏は1974年、滋賀県立堅田高校に進学した。2年後のドラフト会議で中日に1位指名を受けることになるが、入学当初はそんな未来を想像できる状況ではなかった。…
“勝手”に変えられた名前「父が独断で急きょ」 人気俳優の影響で…変化した野球人生|球界群像 都裕次郎#1
背番号「28」の中日左腕。1982年に16勝をマークしてセ・リーグ優勝に大貢献したのが都裕次郎氏だ。滋賀・堅田高校から1976年ドラフト1位で入団し、プロ6年目にエース格と…
拙かった鳥谷敬「下手くそって力むんですよ」 苦労を覚悟も…名伯楽が見た不断の努力|球界群像 久慈照嘉#16
阪神、中日で守備の名手として活躍した久慈照嘉氏は2009年から2013年まで、2016年から2022年までの計12年間、阪神の1軍内野守備走塁コーチを務めた。真弓明信監督、…
急な“引退勧告”に「何で言ってくれないの」 清原加入で移籍消滅…無念だった名手の最後|球界群像 久慈照嘉#15
辞める気はなかった。安定感抜群の守備力を誇った久慈照嘉氏は2005年シーズン限りで阪神を退団した。球団から打診されたコーチ就任を断って、現役続行を目指した。だが、新天地は見…
兼任コーチ要請を拒否して自由契約 妻は出産したばかり…年俸ダウンで選んだ阪神復帰|球界群像 久慈照嘉#14
守備のスペシャリストとして名を馳せた久慈照嘉氏は2002年オフに中日を退団して、古巣の阪神に戻った。中日から守備コーチ兼任を打診されたが、あえて自由契約を希望しての復帰だっ…
中日コーチの打診も…拒否して選んだ自由契約 給料減でも貫いた阪神への“愛”|球界群像 久慈照嘉#13
元中日内野手の久慈照嘉氏は2000年を越えてから苦しい時期が続いた。プロ11年目の2001年は34試合の出場で11打数1安打。若手の井端弘和内野手の台頭もあれば、右脇腹や左…
指揮官が“激怒”「わかっとるわ」 出場激減で失った定位置も…バタバタ交代指令|球界群像 久慈照嘉#12
新たな“仕事場”で奮い立った。1999年、星野仙一監督率いる中日は11年ぶりにセ・リーグを制覇した。開幕から11連勝してスタートダッシュに成功。その後、首位の座を譲るなど苦…
“韓国のイチロー”は「誰が見ても下手くそ」 「裏切り者」と罵声…トレード放出の悲劇|球界群像 久慈照嘉#11
闘将からの第一声は「虎に未練があるのか!」だった。1997年オフ、久慈照嘉内野手は関川浩一捕手(1999年からは外野手登録)とともに阪神から中日に移籍した。大豊泰昭内野手と…
嫌だった中日行き「あそこだけは」 知らぬ番号から着信…嫁の横で察したトレード|球界群像 久慈照嘉#10
まさかの出来事だった。現役時代に守備の名手として知られた久慈照嘉氏は、1997年オフに阪神から中日にトレード移籍となった。1992年のプロ1年目から阪神に在籍した6シーズン…
新人王獲ったのに「僕が打てないから…」 常に送られた刺客、予期せぬ新庄剛志との争い|球界群像 久慈照嘉#9
常にライバルがいた。元阪神、中日内野手の久慈照嘉氏は1992年のプロ1年目から7シーズン連続で規定打席に到達した。その間、ショートのレギュラーポジションを守り抜いたが、毎年…
「優勝していたら…」阪神暗黒時代の“前夜” 痛恨のトレード…OBが回顧する長期低迷|球界群像 久慈照嘉#8
ドラフト2位で日本石油(現ENEOS)から阪神入りした久慈照嘉氏は1992年のプロ1年目から堅い守備と巧打で活躍し、新人王に輝いた。この年の阪神は巨人と同率2位に終わったが…
オリ入団を会社が拒否「もう1年頑張れ」 上位候補と連絡も…聞きたくなかった言葉|球界群像 久慈照嘉#7
好守巧打で注目を集めた日本石油(現ENEOS)の久慈照嘉内野手は、社会人4年目の1991年ドラフト会議で阪神に2位指名された。この年は日本石油の日本選手権優勝、全日本アマチ…
監督が決めた進路「僕の意思は全くなかった」 感じた立浪との差…導かれた阪神での成功|球界群像 久慈照嘉#6
PL学園(大阪)に負けた時には、次の行き先が決まっていた。阪神、中日で活躍した守備の達人・久慈照嘉氏は東海大甲府高を卒業後、1988年から社会人野球の日本石油(現ENEOS…
高卒→社会人入団も「やることはなかった」 密かに抜いた電話線…苦痛だった“留守番”|球界群像 久慈照嘉#5
転機は社会人時代にあった。阪神、中日で内野守備のスペシャリストとして活躍した久慈照嘉氏は、日本石油(現ENEOS)で2年目の1989年からショートのレギュラーになった。新日…
「あとで覚えてろよ」宿敵ヤジり倒し甲子園切符 中継で発覚…審判に怒られた最後の夏|球界群像 久慈照嘉#4
最後の夏は宿命のライバルを“揺さぶり作戦”で打ち崩した。元阪神、中日内野手の久慈照嘉氏は、東海大甲府(山梨)で1985年の1年秋からレギュラーの座をつかんだ。1986年の2…
戦慄の29失点…阪神名手が野次「桑田ぁー」 歴史的大敗に衝撃、PL学園は「すごかった」|球界群像 久慈照嘉#3
元阪神、中日内野手で名手として知られた久慈照嘉氏は、東海大甲府(山梨)在学中に4度甲子園を経験した。1985年の1年夏はスタンドで応援、準決勝で宇部商(山口)に9回サヨナラ…
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