【小島啓民の目】校舎に向かってバッティング 公立だって甲子園にいける、創意工夫の大切さ

日本各地で見られる様々な練習環境、恵まれない環境でも甲子園出場は可能

 前ソフトバンクホークス監督の秋山幸二さん(熊本県立八代高校)、元中日ドラゴンズの落合博満さん(秋田県立秋田工業)、もっと古い人であればヤクルト、阪神、楽天の監督を務めた野村克也さん(京都・峰山高校)に代表されるように環境に素晴らしく恵まれたとは決して言えない公立高校出身のプロ野球選手、監督は多くいます。

 おそらくその方たちの野球の根底には、環境面の不十分さを創意工夫で補っていくという高校時代に学んだ精神が大きく占めていると思います。

 私が見て回った高校の中で、一番衝撃的だったのは、沖縄県の那覇商業高校のバッティング練習です。繁華街の中にある学校で校庭が狭い。その中で、バッティングはナイターの時間帯を使い、なんと学校の校舎に向けて打つのです。当然、校舎の窓などには、金網でフェンスがされています。学校あげての野球部支援があってこそでしょう。

 ある公立高校ではグランドを他クラブと共有するため、平日の練習ではほぼバッティング練習ができません。したがって、平日は、バッティングの形作りを行い、土日に球場を探して実打を行うという手法をとっています。

 そういう私も県立高校の出身で、サッカー部、ラグビー部、その他部活動が同時に練習を行ない、更に練習時間が2時間程度と限られた環境の中で、2度の甲子園を経験してきました。私の高校時代は、県内も有数の進学校であったため、練習時間に限りがありました。したがって、時間管理と密度の濃い練習で練習不足をカバーしていたような気がします。

 7時30分から始まる朝補習の前までに、早朝練習(主にスイングと体力トレーニング)を行い、昼休みは制服のまま、簡単な筋力トレーニング。夕方の本格的な練習では、複数班に分かれ、守備、バッティングの基礎練習を行っていました。平日の練習は、ほぼ基礎練習ばかりで飽き飽きすることも多かったですが、土日の練習にはその鬱憤を晴らすべく、のびのびと楽しく練習していたように思います。それが甲子園につながりました。

 素晴らしい環境が人を育てるのも間違いないと思いますが、環境が整わなくとも、工夫次第では、何とかなるものです。これが日本スポーツ文化、日本の野球の凄さなんでしょうね。

 高校球児の皆さん、夏の予選まであと1か月。まだまだ成長する時間はあります。最後まで工夫して本番を迎えてください。

【了】

小島啓民●文 text by Hirotami Kojima

小島啓民 プロフィール

kojima
1964年3月3日生まれ。長崎県出身。長崎県立諫早高で三塁手として甲子園に出場。早大に進学し、社会人野球の名門・三菱重工長崎でプレー。1991年、都市対抗野球では4番打者として準優勝に貢献し、久慈賞受賞、社会人野球ベストナインに。1992年バルセロナ五輪に出場し、銅メダルを獲得。1995年~2000年まで三菱重工長崎で監督。1999年の都市対抗野球では準優勝。日本代表チームのコーチも歴任。2000年から1年間、JOC在外研修員としてサンディエゴパドレス1Aコーチとして、コーチングを学ぶ。2010年広州アジア大会では監督で銅メダル、2013年東アジア大会では金メダル。侍ジャパンの台湾遠征時もバルセロナ五輪でチームメートだった小久保監督をヘッドコーチとして支えた。2014年韓国で開催されたアジア大会でも2大会連続で銅メダル。プロ・アマ混成の第1回21Uワールドカップでも侍ジャパンのヘッドコーチで準優勝。公式ブログ「BASEBALL PLUS(http://baseballplus.blogspot.jp/)」も野球関係者の間では人気となっている。

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