ロッテ時代は制球難で「自滅」 米国で復活した左腕はなぜ課題克服できた?
制球難でロッテを戦力外、中後悠平はなぜ米国で制球力が向上したのか
昨オフにロッテを戦力外となり、今季はダイヤモンドバックス傘下3Aで13試合無失点と結果を残した中後悠平投手。日本時代には制球難で苦しんだが、3Aでは10回2/3で3四球と大幅に成績が向上した。
球団内でメジャー昇格も検討されるほど活躍は、自身も「課題」としていたコントロールの向上なくしてありえなかった。変則左腕はなぜ、アメリカで“進化”を遂げられたのか。Full-Countの独占インタビューの中で、その理由を明かしてくれた。
中後悠平独占インタビュー「ロッテ戦力外からメジャー昇格寸前へ 左腕激白「一発勝負」にかけた思い」
――日本では制球が課題だったと自分でもおっしゃっていました。ただ、3Aでは10回2/3で3四球という数字を残しました。どのように解決したのでしょうか?
「やっぱりボールには自信があったんです。昨オフに戦力外になった時も、体もどこも痛くないし、球のスピードだってサイド気味の他のピッチャーに比べたら多少は速い。140キロから速いときは140キロ台の後半も出るので。ただ、コントロールには自信がなかったんです。どうやっていくかと考えると、やはりコントロールに自信をつけなきゃいけなかった。ブルペンではストライクも入って、コースにも決まるんです。でも、試合になったらできない。原因は、やっぱりメンタルなんですよ。
ずっと良くなくて『こういうミスしたらいかん』とか、そういうことばかり考えていた自分もいたんです。こういう性格なのに、なんでこうなったかも分からないくらい。本当に人の気持ちって怖いなって。マウンドだと、トライアウトの時もそうでしたけど、足なんか震えたことなかったのに『これで野球が人生が終わるかも』と思うだけで足が震えて。結局、全然ストライクが入らずに終わって。それが今の僕のメンタルの弱さだったんです。
だから『アメリカでは絶対にそういうことをしない』と決意して。どういうことを考えて投げようかということを意識し始めたら、アメリカが良かったのか分からないですけど、なんかもう『失うものはない』じゃないですけど、そういう気持ちになって。アメリカまで来てるんだから『そこでダメだったら、日本に帰って、家族も待っているし、諦めて違う仕事したらええやんか』って。そういう気持ち、楽な気持ちで考えたんです。
あとは、スライダーには自信があったので、真っ直ぐをとにかくストライク入れようと。そこを意識して、ファーストストライクを真っ直ぐで取れたら、その次の2球目、3球目は真っ直ぐかスライダーのどっちでもいける。真っ直ぐでボール、ボールとなったら、スライダーも投げられないし、『次の真っ直ぐもボールになったらどうしよう』と、いつもそういう感じだったんです。だから、真っ直ぐでどうにかしてファーストストライクか、2球に1回はストライクを取らないといけないというのを意識して投げていたら、よかったですね」