前田智徳の引退を引き延ばした広島の愛
辞めたくても辞められなかった理由
そんな前田はこれまで辞めたくても、辞められなかった。残した数字だけではない。スタジアムの歓声、人気、グッズの売り上げ…。チームの象徴的存在である男の引退を誰が許すだろうか。前田が引退をにおわせるたびに、広島の球団オーナーの松田オーナーは「もう1年頑張ってくれ」と慰留に努めた。球団も引き留めるからには、前田を2軍に落とすことはしなかった。ベンチにずっと置き、大事な場面では真っ先に代打に送られた。広島ベンチにおいて、それは暗黙のルールだった。
その前田に対する姿勢は、自軍の選手を心から愛するオーナーらしいやり方でもあった。選手に注ぐ愛情は12球団屈指だろう。横浜から広島に移籍し、現役生活を終えようとした石井琢朗現内野守備走塁コーチにも、まるで生え抜き選手のような温かい対応をした。オーナーは引退試合と引退記念グッズを石井のために用意し、さらには1軍コーチを打診した。功労者として称えられてもいい横浜を戦力外になった経緯がある石井は「選手をこんなに大事にしてくれる球団はない」とその愛情の深さに感銘を受け、引退試合で大粒の涙を流している。
しかし、そんな愛情の深さが前田を苦しめていたのかもしれない。自分がベンチにいることで、大事な選手枠を一つ使う。それは未来ある選手の座を奪うことを意味する。代打も自分より先に出るべき選手がいたかもしれない。実際には前田ほどの選手はいないが、ずっとその状況のままでいいはずはなかった。負傷で本来のプレーができないもどかしさだけではなく、晩年はその暗黙のルールの中でも、もがき苦しんだ。
24年間、周囲の期待を一身に背負い、歯を食いしばって戦い続けてきた。しかし、今年、チームは初めてクライマックスシリーズに進出。丸佳浩や松山竜平といった左打者も力をつけてきた。自分の役目は終わったと思えた部分もあったのだろう。「こんな故障だらけの選手を最後まで応援してくれてありがとうございます」と会見で感謝の気持ちを込めた。
そして10月3日には本拠地で引退セレモニーを行い、「この広島で、そして広島東洋カープで、一途に野球ができたことを誇りに思います」と地元ファンの前であいさつし、涙を誘った。
「選手としての引き際はとっくに過ぎていました」
そんなふうに自身の引退を表現した天才バッターは、背番号1のユニホームを脱ぐ瞬間、周囲が想像するよりも遥かに大きい解放感に包まれるのだろう。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count