閉鎖から3年 多くのファンから愛された旧広島市民球場の記憶
数々の名場面が生まれた球場
かつて広島の初優勝に沸いた旧広島市民球場が閉鎖されてから3年が経つ。山本浩二、衣笠祥雄、津田恒美・・・数々の往年の名選手が生まれた、味わい深い球場だった。
その後も江藤智、野村謙二郎、金本知憲、前田智徳、緒方孝市、黒田博樹とスター選手が生まれた。その一つの背景には、ある小部屋の存在があった。
マウンドから見て、右のバッターボックスから少し視線を右にずらすと、その場所がある。野球を見るには特等席ともいえる部屋の一室。そこに、人影があったのを覚えているだろうか。審判の真裏の席は来賓や球団首脳、幹部が使っていたが、その隣は「野球教室」という名前がついていた。
部屋の椅子に座ると、目線はグラウンドレベル。小窓を開けると、投手が投げるときにあげるうめき声、捕手のミットにボールが収まる音、バットがボールをとらえる音、ベンチからの声……、野球の様々な音が聞こえてくる。
そこは、チームの将来を担う選手たちに用意された部屋だった。テレビでは伝わってこない、臨場感溢れるゲームを肌で感じてもらいたいという球団の願いが込められていた。風が吹けば、土や砂埃が舞った。将来を嘱望される選手たちはホーム裏でその土の匂いを嗅いだ。2軍の選手たちは、先輩たちの試合を見ることで、明日への活力、刺激を得ていた。それが、現在の広島カープにつながっている。
数々の記録や名場面もこの旧球場で生まれた。たとえば、往年の名スラッガー・清原和博と現カープ監督の野村謙二郎の逸話がある。清原がプロ通算500号のメモリアルホームランを放った直後、一塁の守備に就くと、土のグラウンドに「おめでとう」の文字が書いてあった。同じ一塁を守る野村が、本塁打の後に書いていたのだ。
清原はその回の守備を終えると、腰を下ろし、なにやら書き始めた。野村によると、「おめでとう」の下に、「ありがとう」の5文字が添えられていたという。その後、野村は2000本安打を達成。清原も心からの祝福を送り、健闘を称えあった。
人それぞれに思い出があり、喜怒哀楽を喚起させる球場がある。旧広島市民球場もその一つだった。これから球界でどんなドラマが生まれるのか。新たな記録や名場面を脳裏に刻むことを楽しみに、各地の球場に足を運んでみるのもいいかもしれない。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count