野球殿堂の候補者入りの新候補者 鈴木尚典を成功に導いた秘話
「マシンガン打線」生みの親が振り返る鈴木尚典
野球殿堂博物館が11月29日に来年の野球殿堂入りの候補者を発表し、プレーヤー表彰で新たに4人が加わった。日米通算201勝の野茂英雄氏(45)、西武、巨人で歴代5位となる525本塁打を記録した清原和博氏(46)、巨人で通算173勝をマークした桑田真澄氏(45)と並んで選出されたのは、横浜(現DeNA)の主軸を担った鈴木尚典氏(41)だった。
4人の中で最も若く候補入りを果たした鈴木氏は、偉大な先輩たちに負けず劣らず、輝かしい経歴を誇る。「マシンガン打線」の核として、1997年、98年と2年連続の首位打者を獲得。98年にチームが38年ぶりのリーグ制覇を達成すると、迎えた日本シリーズでは打率4割8分という驚異の打撃で、これまた38年ぶりとなる日本一に導いた。当然のようにMVPにも輝き、その名を歴史に刻んでいる。殿堂入りの発表は来年1月17日だが、その結果を待たずとも、鈴木氏が名プレーヤーであることは周知の事実である。
だが、そんな名選手も初めから結果を残していたわけではなかった。「マシンガン打線」の生みの親として知られる元横浜DeNAコーチの髙木由一氏は振り返る。
「鈴木は1年目、2年目くらいは毎年いい形で終わるんです。私も『よーし、スーさん、いいぞ。これは来年楽しみだな』と声をかけた。でも、春になると別人のようになって帰ってくるんですよ。どうしたんだよっていうくらい。これが2年くらい続いたでしょうかね。ともかく、酷くなって帰ってくる。たぶん忘れちゃうでしょうね。僕もそうでしたけど、バットを1週間、2週間振らないと忘れるんですよ。それで形を取り戻すのにキャンプが終わっちゃう。その流れで、まとまらないままシーズンに入るから、なかなか成績を残せなかった」
当時、1軍の打撃コーチを務めていた髙木氏はそこで、教え子の成長に一肌脱ぐことにした。オフの期間も、1週間から10日に1回のペースで自宅に招き、駐車場で素振りをさせたのである。いつしか、2人だけでトレーニングに励み、その後、髙木氏の家で食事をするというのが恒例となった。一時期は教え子用の箸が自宅にあったほどだ。