プロ1号を放った巨人のドラフト1位・小林誠司 その活躍を支える高校時代の記憶

忘れられない、甲子園での出来事

 忘れもしないのが、迎えた甲子園だ。その春のセンバツがベスト8だったこともあり、広陵は優勝候補とされていた。佐賀北高校との決勝戦。4対0で迎えた8回だった。1死満塁から、野村-小林のバッテリーは押し出しの四球を与えた。最後のボールは微妙な判定だった。ポーカーフェイスの野村もさすがに表情を変え、小林も冷静さを一瞬失ったようにキャッチャーミットを3度、地面にたたきつけた。それだけバッテリー間では自信のあるストライクのボールだったのだ。

 直後の出来事は、高校野球ファンならば、記憶の片隅に残っているだろう。広陵バッテリーは逆転満塁ホームランを浴びたのである。5万を超える大観衆が、公立高校の奇跡を目の当たりにしたのだった。決勝戦では初となる逆転満塁ホームラン。4点リードもむなしく、夏の優勝をさらわれたのだった。呆然と本塁上に立ち尽くす小林の姿は映像でも残されている。

 その後、野村は明治大、小林は同志社大へと進み、大学でもそれぞれ結果を出した。野村は大学卒業を目前にて、故郷・広島のドラフト1位を勝ち取った。一方、高校時代は無名だった小林も高い志を持って大学、社会人と野球を続け、プロ入りを果たした。

 小林は「一球の怖さはあの時に知った」と振り返っている。野村が1年目から広島のローテーションを守り、活躍できているのは、夏の甲子園の決勝で身をもって「一球の怖さ」を感じたからだ。そして、一時は力の差を感じ、プロを諦めかけた時期もあった小林が最終的にプロの門をたたいたのも、あの高校時代の悔しさがあったからだった。

 押し出し四球で運命が変わった。押し出し四球を出したところで、気持ちを切り替えて、次の打者と対戦できていれば……。スポーツの世界で「たられば」はないが、高校時代の記憶がプロというフィールドで戦うことの手助けになった。

 そして、小林にはもう1つ、プロを目指した理由がある。「プロの舞台でもう1度、野村と戦いたかった」。その小林は同級生の後を追って、プロの世界で結果を出し始めている。苦い思いを味わったあの夏から7年。新たな舞台で活躍し始めている男たちに注目したい。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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