蘇る名勝負の記憶 「野球の聖地」で松井秀喜氏が果たした懐かしの再会
再開を喜び合った松井とペドロ・マルチネス
松井と同様、他のチームの代表にも名選手たちが並んでいた。中でも、メディアの注目を集めたのが、レッドソックス代表のペドロ・マルチネス投手だった。松井もこのイベントでペドロと会えるのを楽しみにしており、試合前にあいさつを交わしている。同じア・リーグ代表のメンバーだったため、対戦はせず、ペドロが投げる後ろで、レフトの守備に就いた。
「同じチームで良かった。(デッドボールを)ぶつけられるんじゃないかと思いました」と松井がジョークを言えば、ペドロ・マルチネスも「こうしてまたマツイに会えてうれしかったよ」と再会を喜んだ。
ペドロ・マルチネスは、MLB最高の投手と呼ばれる時期もあったほどの剛腕だ。ドミニカ共和国出身で通算219勝をマーク。1999年にはレッドソックスで23勝を挙げた。スリークオーター気味のフォームから直球、ツーシーム、カット、カーブ、チェンジアップを投げ、スピードもあり、なおかつ四隅に投げるコントロールは抜群だった。
彼がその他に武器としていたのが、ビーン・ボールだった。ビーン・ボールとは打者の頭付近を狙って投げて、相手をのけ反らせる球のことで、バッターに恐怖心を植え付ける効果がある。バッターはデッドボールを恐れ、踏み込めなくなるのだ。
ペドロは前述したように、コントロールが良いことから、ビーン・ボールを投げた後に内角ギリギリのストライクを投げることや、踏み込めない相手の心理状態を利用して外角に投げ込んだりして、打者を打ち取っていった。バッターからすれば、こんなに嫌な投手はいない。
松井もペドロ・マルチネスに苦しめられた一人だった。シーズンの対戦打率は28打数4安打1本塁打。打率は1割4分3厘と打てなかった。メジャー移籍1年目は10打数無安打だった。日本を代表するスラッガーも最初は全く歯が立たなかった。