米メディアの特集で「史上最高のルーキー」に名を連ねたイチロー 「誰もが彼に恋していた」
「誰もがイチローに恋に落ちていた」
真っ先に名前を挙げられているのが、2001年のイチロー外野手(マリナーズ)だ。新人王とMVPを同時受賞したのは、MLBの歴史でもイチローとフレッド・リン(レッドソックス)の2人しかない。当時のイチローのWARは7・7で、野手のルーキー史上4位、リンは7・4で同5位の数字。また、イチローのWARは同年ではジェイソン・ジアンビ(9・1)、ブレット・ブーン(8・8)、アレックス・ロドリゲス(8・4)に次ぐ4位だった。
もっとも、スコーエンフィールド氏は「その年は、ブーンがMVPに値したと思っている」と記している。イチローのチームメートだった強打者は、打率3割3分1厘でリーグトップの141打点を記録していたからだ。ただ、ブーンが打点を挙げられたのは、リーグトップの打率3割5分、242安打、56盗塁を記録したイチローが1番を打っていたからだとも指摘。「イチローには驚くべき要素があり、ステロイド全盛期の時代に体の小さな男がスモールベースボールというユニークな方法で活躍し、みんなが彼に恋に落ちていたことは疑いようがない」と絶賛している。
一方、1975年のリンは打率3割3分1厘、21本塁打、105打点を記録。長打率、得点、二塁打がリーグトップ。外野の守備でゴールド・グラブ賞を受賞し、チームの地区優勝に貢献した点はイチローと同じだ。
スコーエンフィールド記者が「MVPを受賞するべきだった」として名前を挙げた驚異のルーキーは、2012年のマイク・トラウト(エンゼルス)だ。実際にはMVP投票で次点に終わった万能プレーヤーは、リーグトップのWAR10・8をマークした。これは野手のルーキーでは史上最高の数字だという。打率3割2分6厘、出塁率3割9分9厘、長打率5割6分4厘で、30本塁打、129得点、リーグトップの49盗塁だった。
そして「おそらく知らない名前」として挙げられたのは1910年のラス・フォード(ヤンキース)。WAR11・0で、田中の現在の数字を倍にしても届かない。1901年に1試合しか登板せず、ルーキーシーズンとなった1910年に26勝6敗、防御率1・65と活躍。この年のWARでは、メジャー通算417勝の名投手ウォルター・ジョンソンの11・2に次ぐ2位だった。ただ、まだ不正投球が禁止されていなかった時代で、フォードはボールを傷つけるためにヤスリをユニホームに忍ばせていたという。その後は負傷もあり、1911年に22勝、1914年に21勝を挙げたが、メジャー通算7年で99勝71敗の成績を残して引退している。